創業者「野村徳七」 5.野村徳七の誕生

写真左より信之助(徳七)、
弟実三郎、姉菊子、母タキ、妹タニ

野村徳七(信之助)が生まれたのは明治11年8月7日のことである。この年、初代徳七は、両替店を開業して6年目をむかえ、大弥両替店の一隅から出て、大阪の農人橋詰町九番地に住宅兼店舗を構えた。明治11年といえば、東京、大阪にそれぞれ取引所が設立された年であり、信之助は、東京株式取引所の開設に遅れること2カ月、大阪株式取引所の開設の当月に生まれたわけである。後年、証券界に身を投ずるようになったのも、何かの因縁があったといえよう。その後、野村家には、長女きく、長男信之助のほかに、実三郎(14年生まれ)、徳四郎(17年生まれ、2才で早逝)、たに(18年生まれ)、元五郎(20年生まれ)が相次いで生まれた。

出所:「大阪市立大学の百年」より

信之助は、明治24年、小学校高等科3年のときに、市立大阪商業学校の入学試験に合格した。苦学力行ともいうべき勉強が続いたが、28年の夏に肺炎にかかり、予科修業のまま本科進学を断念した。

しかし、このあとも、信之助は木埼塾に通いながら、夜間は大阪実業学館に学び、商業簿記を修め、30年9月卒業した。こうして信之助は、弟実三郎とともに家業に従事することになった。仕事は両替が主だったが、その方は弟にまかせ、信之助は、かねてからの念願である株式売買を見習うために、29年、仲買の「八代商店」に赴くことになった。この店では、自己売買などをやったが失敗し、また自分の店に戻った。その後まもなく、父から定期と現物の取り次ぎを許された。