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創業者「野村徳七」





現物仲買の看板
現物仲買の看板
初代徳七の独立後の商売は順調に発展し、明治14年度の利益は、両替が83円45銭、古金古道具売買が13円50銭で、合計96円95銭となった。その間、きく、信之助(徳七)、実三郎と次々に誕生した。
初代徳七は12年、取引所仲買人となったが、翌13年4月15日には廃業した。しかし、この事実は、初代徳七も現物仲買に意欲を燃やしていたことを物語っている。
ちなみに、大阪株式取引所の設立は11年8月だが、当時上場されたものは新旧公債、秩録公債、起業公債などだった。 翌12年になって、東西両取引所株、堂島米会議所株が、株式としてはじめて上場され、年を追って、民間企業の株式、各種の新公債が上場された。 明治25年ごろには、鉄道6銘柄、船舶2銘柄、紡績・織物10銘柄、その他5銘柄が上場され、公債の取引は、新旧の公債、整理公債、海軍公債の4つとなった。



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