

明治40年頃のきく夫人明治30年に入って経済界は不況にあえぎ、政府は3月に、貿易の回復と金利水準の低下を図るために金本位制を採用した。 これが経済界の楽観材料にされて株式の投機熱を誘い、市況は高騰したが、年末の膠州湾事件を機に市場は総崩れの反落相場となった。 こうして日清戦争が証券市場に与えた波紋は拡大し、その影響は次第に深刻化した。信之助が学業を断念して家業を継いだのは、このような時だった。
彼は、父に許された範囲内で現物のブローカーや公債売買、定期の取り次ぎに奔走した。 その結果、得意先もできて、定期の取り次ぎも次第にもらえるようになった。 信之助は31年12月から34年11月までの満3年間、軍隊生活を送ったが、除隊後の36年6月、母を失ったのを機に同年12月、山田治兵衛の異母妹菊子と結婚した。