創業者「野村徳七」 11.欧米外遊の旅

欧米外遊の旅先からのはがき

野村徳七は、明治41年3月から8月にかけて欧米外遊の旅に出た。朝日新聞社の企画による世界一周旅行の一員として加わったものであった。徳七は31才の若さでこの旅行に参加し、いたるところで新知識の吸収に努めた。この欧米旅行は、徳七のその後の生涯および事業に大きな影響を与えた。欧米への外遊について徳七は、『蔦葛(つたかつら)』(徳七の自叙伝的日記)に、「世界の金融業界の最先端を走っていた金融機関の業務体制に、時には驚嘆し、時には憧憬しながらも、いつかは野村も彼等と対等に闘えるようになりたい」という希望を書き綴っている。

欧米外遊の旅先からのはがき

各地の見学で、もっとも期待したのはニューヨーク、特にウォール街の証券関係の機関、会社でだった。徳七が最初に訪れたのは取引所だった。その取引手法には特に興味を引かれた。ついでカーブ・マーケットを視察し、最後に仲買店「ポスト・エンド・フラッグ商会」を訪れ、その通信施設、調査機関の完備に感動した。この店の視察は、帰国後の徳七の経営方針に、大きな革新をもたらした。

ニューヨーク視察で徳七が学んだことは、証券取引と金融機関が密接な関係であるということだった。日本の仲買人の地位向上のためにも、証券取引と金融機関は密接な関係でなければならないことを痛感した。その後、アメリカからロンドンに渡り、最後に帝政ロシアを見て、シベリア経由で帰国した。