創業者「野村徳七」 12.調査・分析の重視

日報式広告の数々

時代に先駆けて、明治39年に調査部を設立したが、帰国後は、調査部の組織を調査、統計、編集、翻訳の4係とし、各係にあてる人員を強化した。もちろん、調査部の仕事は、今日のように高度な方法と内容をもつものではなかったが、当時の封建的な証券界にあって、はじめて近代的な調査研究を行い、その成果を店内だけでなく、一般大衆にすすんで公開したところに大きな意義があった。

『蔦葛(つたかつら)』には、調査・分析の重視が証券会社としての進むべき方向と努力すべき事柄として、明確に記されている。

「我々は現に投機業者の間に持囃さる投機株、所謂流行株は固より、凡ての証券に就いて、その本質に就いての研究を、科学的になすべき責任がある。真価を求め、真価を見出し、これを放資の対象として推奨する。宣伝する。これこそ最も進歩せる理財行為である。これありてこそ日々の上下騰落にも悩まされず、安心して株を有ち、社債を買うてゆけるのである。只目前に現はれつつある日々の強弱関係や、大手筋の動くままに操られて、売買に浮き身を費やすから、世間は株屋と言ひ、相場師などといふのである。個々の事業会社、銀行に就いて、篤と資産内容にメスを加へ、業績を検討して、将来性を判断し、市場性なきものには、これを与へるべく協力していくべきである。」