創業者「野村徳七」 17.「野村證券株式会社」の営業開始

野村證券設立時の定款

独立した証券部の店舗は大阪市東区安土町2丁目61番地に定められ、大正13年に建築を開始し、14年の暮に竣工した。社名については「野村ボンド・ハウス」 「株式会社野村證券部」などの案が出たが、結局、「野村證券株式会社」に決まった。こうして大正14年11月27日「野村合名会社」において、発起人会が開催される運びとなった。

「野村證券」は大正14年12月25日に設立登記を完了し、大正15年1月4日に営業を開始した。前述したように、創立当時、銀行本店の証券部のほかに、支店証券部として、東京、京都、名古屋、神戸の営業所があったが、証券部の独立、「野村證券株式会社」の創立と同時に、各営業所は、「野村證券」の出張所に改められ、本店と同日、一斉に営業を開始した。

開店広告

創立当時の職員数は、社員35名、社員見習30名、女子事務員13名、ほかに傭員を含めて合計84名の少数で発足した。職制は簡素なものとし、売買係、金融係、外国係、信託係、受渡係、出納係、経理係、庶務係の8係を設け、さらに、これに対して、調査部、検査課を配置した。なお、売買係は、「野村銀行」時代同様に、証券の売買だけでなく、引受業務をも取扱った。

徳七は、住吉の棲宜荘で昭和20年の新年を迎えたが、狭心症の発作に見舞われ、関係者のあらゆる努力もむなしく、ついに1月15日、66年の多彩な生涯を終えた。敗戦のちょうど7カ月前のことであった。

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