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創業者「野村徳七」





明治40年1月8日の意見広告
明治40年1月8日の意見広告
日露戦争後の熱狂相場という市況の推移のなかで、信之助は強気で臨んだが、やがて、熱狂の大反動を予見し、180度の大転換を行って、敢然として売り向かった。明治40年1月8日には『大阪野村商報』に、有名な「相場は狂せり」との意見広告まで出した。 実は、この直前、信之助は資金繰りに窮していた。だが、資金供給が底をつく寸前に、当時の鴻池銀行から100万円の融資を得ることに成功していたのである。当時の鴻池銀行や住友銀行の資本金が約300万円であったことを考えると、岩本栄之助
岩本栄之助
信之助がいかに膨大なリスクを背負ったかが理解できる。 信之助は、鴻池銀行を説得する時、「私が命を賭けて考へたことだから、決して間違ふ筈はない」(『野村得庵伝』)と断言した。信之助の売り乗せ戦法は、北浜の有力仲買人岩本栄之助が売方に味方したので、見事に的中し、莫大な利益を得た。ここに「野村商店」の基礎は、いよいよ強固なものとなった。



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