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創業者「野村徳七」





日報式広告の数々
日報式広告の数々
欧米外遊は、徳七のその後の人生、事業経営の上に、大きな影響を与えた。新知識を吸収して帰国した徳七は、斬新な着想を、その果断な行動力で、次々と実行に移した。 その第一は、「野村商店」の調査部の改革と拡充であった。
時代に先駆けて、明治39年に調査部を設立したが、帰国後は、調査部の組織を調査、統計、編集、翻訳の4係とし、各係にあてる人員を強化した。もちろん、調査部の仕事は、今日のように高度な方法と内容をもつものではなかったが、当時の封建的な証券界にあって、はじめて近代的な調査研究を行い、その成果を店内だけでなく、一般大衆にすすんで公開したところに大きな意義があった。
調査分析した各種証券の推奨販売の宣伝広告に努め、その広告費は、朝日新聞、毎日新聞の両紙だけで、当時の金で年1万円に上った。このような時代の先端を行く方針を、明治の末期に、30才をようやくこえた一青年が採用したことは、まことに驚嘆に値するものであった。
このように、「調査のためには金を惜しまず投ずる」という徳七の方針は、今でも野村證券の伝統として引き継がれている。
こうして、人、金の両面にわたり、調査部の強化に精力をそそいだので、「野村商店」の信用と声価は高まり、世人の注目するところとなった。 調査部の強化は、外遊の成果の最たるものであり、ニューヨークの「ポスト・エンド・フラッグ商会」の完備した調査機構を参考にしているとはいえ、「科学的根拠にもとづく証券投資の研究と実践」という信念があってこそできることであった。



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