
『蔦葛(つたかつら)』には、調査・分析の重視が証券会社としての進むべき方向と努力すべき事柄として、明確に記されている。
「我々は現に投機業者の間に持囃さる投機株、所謂流行株は固より、凡ての証券に就いて、その本質に就いての研究を、科学的になすべき責任がある。真価を求め、真価を見出し、これを放資の対象として推奨する。宣伝する。これこそ最も進歩せる理財行為である。これありてこそ日々の上下騰落にも悩まされず、安心して株を有ち、社債を買うてゆけるのである。只目前に現はれつつある日々の強弱関係や、大手筋の動くままに操られて、売買に浮き身を費やすから、世間は株屋と言ひ、相場師などといふのである。個々の事業会社、銀行に就いて、篤と資産内容にメスを加へ、業績を検討して、将来性を判断し、市場性なきものには、これを与へるべく協力していくべきである。」
また、徳七の欧米外遊時の経験について、『野村得庵伝』は次のように記している。
『野村得庵伝』 より
「中でもポスト・エンド・フラッグ商会の整然たる店の組織や、完全な調査部の機能などを見たことは、氏にとって終生忘るべからざる体験で、氏自身も後年朝日新聞記者に語り『生まれて以来これほど驚いたことはない』と告白しているが、それはけっしてお座なりの誇張言ではあるまい。野村氏は元来人気本位に基づく株式の売買を排斥し、株の売買は宜しく科学的根拠に立つべきものであるとし、それを実践化するために、率先して不完全ながらも調査部なるものを設け、そのためわざわざ橋本喜作氏(元大阪毎日新聞)を迎えたほどの人である。さういふ主張を有ち、兼てさういふ行迹を歩んで来た氏の眼から見ると、ポスト・エンド・フラッグ商会の調査部が完全にその機能を発揮して、ワシントンの財務当局も及ばないほど精密な統計を作り上げるといふが如きは、明らかに氏の主張を裏書するのみならず、その効果を最高度に収めているもので、氏としてはいよいよ在来の確信を深めていくとともに、氏自身もまたそれに劣らないだけの、優秀な調査部を有ちたいといふ熱望を抱いたに相違ない」