

明治45年頃の『野村徳七商店』の看板この現物団は、明治44年10月の「大阪商船」350万円の社債募集にも、東京の銀行引受団との競争を退けて、引受けに成功した。 それ以来、「野村商店」は常に現物団の幹事として活躍し、次々に社債の引受けに成功し、その声価をますます高くした。 次いで、新株募集の業務に着手したが、これは証券業者の専門であったため、その利益は少なかった。
このように、徳七は、ひとり北浜だけでなく、わが国証券業界の先駆者として駒を進めた。特に、この現物団の結成は、わが国企業の資本調達に大きく寄与し、その功績は、証券界の歴史の1ページを飾るにふさわしいものだった。