

野村徳七商店 店員の写真大戦は証券界に大きな衝撃を与えたが、戦争の情報を適確につかんだ者が、その後、幸運の波に乗ることになった。 徳七が「野村商店」の黄金時代をつくり、しかもその後の財閥確立の橋頭堡を築いたのも、実に、この時の明敏な洞察によるものだった。
徳七は、大戦勃発当時こそ手持株の損失をできるだけ少なくするという方針をとり、しばらくは形勢を観望する態度をとっていた。 しかし、大正4年を迎え、金融緩慢、対外貿易の大出超が伝えられると株式は暴騰し、大阪市場の「大阪商船」などは、年初54円だった株価が12月には144円と、約3倍の高値を示した。徳七の活動は、この機に乗じて、にわかに活発になったのである。