
大正4年10〜11月には、大阪取引所の出来高は1日平均25万株と、開所以来の活況を呈した。 年初来、戦争の前途悲観説が蔓延していたが、これに対し、徳七は、強気で売止め買進みの戦略をとり、それぞれがことごとく適中した。 このとき徳七は、有力仲買人岩本栄之介を総帥とする売方に対して、買方の総帥として一代攻防戦を展開し、勝利をおさめた。 敗れた岩本が自殺をとげたことからみても、この攻防戦がいかに壮絶だったかが偲ばれる。
こうして「野村商店」の業績はすこぶる上昇した。 大戦勃発後の業績の推移をたどってみると、大正4年上期は相場の上昇で持株の評価益が大きかった。特に明治44年に安値で肩代りした「福島紡績」の暴騰が、評価益拡大に大いに寄与した。 さらに下期に入ると、10〜11月の熱狂相場をリードした郵船、商船の船株を安値で仕込んでいた「野村商店」の利益は、これだけで200万円以上の巨額に達したと言われている。