

証券部設立の頃の野村銀行片岡音吾(野村證券初代社長)が「日本興業銀行」から招かれて、「大阪野村銀行」の取締役兼支配人に就任した。 銀行設立にあたり、日本銀行の水町副総裁、興業銀行の土方総裁などから、公債取扱いを要請されていたが、大正9年、井上準之介が再度日銀総裁に就任するとともに、国債市場の復興をめざして9月、10月に、東西にそれぞれ国債市場が開設され、大阪国債取引員組合が新設された。
「大阪野村銀行」は、この機運に乗じて証券部を設置した。 これは、銀行として証券部という名称を用いた初のケースであった。
「大阪野村銀行」がこのように、特色を打ちだしたのは、大小の先発銀行群と同じような営業方針では、経営が成立たない危惧があったためでもあったが、証券金融の整備によって証券市場の発達と証券の普及化、さらに中小企業への産業資金の供給といった業務を、その使命として、打ち出したといえよう。