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創業者「野村徳七」





「大阪野村銀行」設立とほぼ時を同じくして、大正7年6月1日「野村総本店」が設立された。これはその後、野村コンツェルン形成の中核となっていく。 こうして徳七は、一介の証券業者という地位から脱し、産業および金融資本家としての色彩を次第に濃くしていった。
弟実三郎の没後(大正8年1月26日死去)、その傾向は一段と鮮明となり、9年以降から大正末期までに投下された資本と事業数は、内外地あわせて、財閥にふさわしい規模のものとなった。
ところが、経営の采配を振るっていた実三郎の亡き後の「野村商店」の業績は、大正9、10年の不況もあって、株式仲介業務を中心に次第に衰退した。 そのため12年6月に、資本金500万円を200万円に減資し、店名を「大阪屋商店」( 昭和5年7月解散)と改め、徳七は監督の地位を退いた。



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