
徳七は、 「大阪屋商店」の監督の地位を退いたのちも事業に情熱をそそぎ、次々に新しい事業を興したが、事業の拡張とともに、強力な中枢機関が必要となってきた。 こうして生まれたのが「野村合名会社」である。
「野村合名会社」は、資本金2,000万円で、大正11年3月31日に設立された。 それまで雑然とした体制の中で運営されてきた新旧の諸事業は、合名会社を中核として運営体系を整え、ここに野村の事業体系の基礎が整った。
これに伴って金融部門の充実、金融資本増大の必要が生じ、先に設立した「大阪野村銀行」のほかに、中・長期の金融資本を造成するために、信託、保険等の事業とも取り組み、その金融資本の増加育成によって、産業方面に一段と触手をのばしたのである。 なお、合名会社設立を機に「野村総本店」は、その業務の大部分を合名会社に移行し、総本店の名称は、依然存続したものの、実質的には、その役割を終えた。