ここからサブメニュー
グループ概要
サブメニューここまで
ここからこのページの本文

創業者「野村徳七」





野村合名の入社式
野村合名の入社式
「野村合名会社」は、昭和4年8月に、理事会規定を定めてからは、それ以前とは実質的に性格が変わり、近代的財閥の中枢機関としての機能を持つようになった。 この改革後、傘下各社の増加もさることながら、合名会社の活動は財界の注目の的となり、野村コンツェルンの完成に、一歩一歩近づいていった。
ただ、野村の財閥としての地位は、スタートが遅かったこともあり、資本の効率も低く、独占的な利益をおさめる段階までには達していなかった。
野村が財閥の形を整えはじめたのは、大正7年の銀行創立前後からであり、他の財閥と比べると歴史が浅く、加えて金融部門の整備に努めてきたために、広く産業部門へ進出する余裕がなかったのである。 とはいえ、太平洋戦争終結の前年昭和19年2月現在で、直系傍系あわせて30社を超え、事業網は、金融、産業の各部門にわたっていた。 この体制は、戦後の連合軍司令部の財閥解体指令が出るまで維持された。


直系企業の事業網
直系企業の事業網


このページのメインメニューへ戻るこのページのサブメニューへ戻る