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創業者「野村徳七」





北浜野村ビル(大正10年から)
北浜野村ビル(大正10年から)
「大阪野村銀行」(昭和2年1月「野村銀行」と改称)に、証券部を設けたのは、多数の先発銀行に伍して営業を行うためには、何か特色を打ち出して、新機軸を開く必要があったからである。 当時の銀行の責任者であった片岡音吾取締役支配人は、徳七の全面的支持を得て、大正9年10月1日、公社債専門の証券部を新設し、片岡取締役自らが初代の部長を兼務し、業務を開始した。
証券部の新設は、国債市場の開設という時流に乗っていたので、新設後の営業成績は良好であった。 大正11年2月の第4回「大同電力」社債500万円や、12年9月の「広島電気」社債500万円の募集に成功し、証券部のために大いに気を吐いた。大正12年の証券部の営業成績は、9月の関東大震災による東京支店の全焼という災禍にもかかわらず、起債市場が盛況だったため、上下両期を通じて、70万円以上の純益をあげた。



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