
証券部は、業務発展、収益向上とともに、大正11年4月から内部的に独立採算制をとり、独立しても十分経営できる態勢を整えていった。 一方、営業部を証券部とを並立させてゆくことが、現実的には難しいことも、少なからず感じられるようになった。 そこで、銀行首脳部のあいだには、公社債の将来の発展に備えて、これを本格的に発展していこうとする構想が具体化しはじめた。
証券部の独立の構想に対して、公社債業務に深い理解のあった徳七は、この構想を積極的に支持した。しかし、当時の証券業務は、依然として募集事務が大部分で、売買は少なく、また起債も時期によって繁閉の差があり、期ごとの目標が立たないなどの問題点があった。