国際化に向けて動き出した中国人民元の展望
論文2010年春号
野村資本市場研究所 関 志雄(監修)、神宮 健、関根 栄一、古川 浩史
目次
- I.はじめに
- II.人民元の国際化をどう捉えるか
- 通貨の国際化について
- 人民元を国際化する目的
- 人民元の国際化のメリット・デメリット
- 人民元の国際化の進め方
- III.人民元建て貿易決済の導入と仕組み
- 世界貿易及びアジア地域の貿易に占める中国の比重の高まり
- 人民元建て貿易決済の導入に至るまでの経緯
- 人民元建て貿易決済のスキーム
- これまでの実績と課題
- 人民元建て貿易決済の拡大に向けたシナリオ
- IV.人民元建て貿易決済を支える人民元建て通貨スワップと香港人民元建て債券
- 中国域外(香港を含む)での人民元の流通状況
- 6カ国・地域との人民元建て通貨スワップ
- 香港人民元建て債券
- V.人民元国際化の前提となる中国の為替・資本・金融自由化の動向
- 人民元為替制度の変遷
- 資本移動規制の緩和状況
- 中国の金融市場・資本市場の状況
- 中国の金融・資本市場の開放に向けた動き
- VI.人民元国際化の見通しと日本の対応
- 日本に波及する項目・日本自身が考えるべき項目
- むすびにかえて
要約と結論
- 米国のサブプライム・ローン問題に端を発した世界的な金融危機が深刻化する中で、2008年9月のリーマン・ショック以降、世界各国・地域の景気後退が鮮明になった。こうした中で、中国政府は、2008年11月に4兆元の景気刺激策を発表し内需拡大に努めた結果、中国経済は2009年通年で8.7%成長し、世界景気の牽引役を果たした。世界の経済政策決定の舞台が、G7からG20に移りつつある現在、新興国、特に中国の役割の拡大は誰の目にも明らかである。
- こうした変化の中で、中国は、実体経済面のみならず、国際金融・通貨の面でもそのプレゼンスを高めようとしている。具体的には、2007年から始まった香港人民元建て債券の発行や、2009年から主に香港を相手に始まった人民元建て貿易決済のテストといった形で、人民元は国際通貨として活用されるようになっている。
- 中国の人民元の国際化の目的は、これまで中国政府が行ってきた政策を整理すれば、先ずは周辺国・地域との人民元建て貿易決済を進め、貿易に伴う中国企業の為替変動リスクを回避することに主眼がある。そのために一部の周辺国・地域と人民元建て通貨スワップを締結して、人民元が国外に流れるメカニズムを構築している。加えて、香港に人民元オフショア市場を創設し、香港で人民元建て国債を発行するなど、オフショアでの運用手段の提供にも動いている。
- 中国の人民元の国際化については、通貨発行益(シニョリッジ)を得ることができるなどのメリッ卜がある一方で、自国の金融政策の有効性が低下するなどのデメリッ卜もある。中国大陸側研究者の中には、人民元の国際化は、周辺化→地域化→国際化のステップで進めるべきであるとの議論がある。また、通貨の国際化の為には、人民元の自由交換性の実現と資本取引の自由化が条件となるため、アジア地域での人民元建て貿易から始まり、投資、対外援助へと段階的に進めるべきであるとの意見もある。人民元建て貿易決済の相手先となった香港は、香港を人民元オフショア市場として育成し、やがて台頭する大陸内金融センターとの違いを出しながら、早めに布石を打っていく戦略を採っている。
- 人民元建て貿易決済は、2009年7月より、上海・広東省(広州、深圳、珠海、東莞)一香港間でスター卜した。人民元建て貿易決済のテスト企業、及び決済業務の銀行ライセンスは、中国政府が認定する。テスト企業の第一陣として、合計365社(うち外資が182社)が選定され、日系企業も10社認定された。2010年2月11日付中国人民銀行「中国貨幣政策執行報告(2009年第4四半期)」によれば、2009年の人民元建て貿易決済は計409件、35.8億元となった。今後は、(1)従来の外貨建て貿易決済業務からの発想の転換、(2)為替リスク変動に対する発想の転換(ヘッジ手段の開発を含む)、(3)銀行書類審査や税関審査の実務負担軽減、(4)人民元建て運用商品の発展(特に香港サイド)が鍵となる。また、今後の人民元建て貿易決済の拡大のシナリオとしては、(1)ニ国間貿易で中国側が貿易赤字を出しているアジアの国・地域や資源国の間での適用や、(2)人民元建て通貨スワップの拡大が考えられる。
- 人民元が最終的に国際化していくためには、人民元の自由交換性の実現と資本取引の自由化が前提であり、そのためには中国圏内で流動性が高く厚みのある金融市場・資本市場が形成され、多様な発行者が人民元を調達し、海外投資家も含め人民元建て運用商品に投資できることが重要となる。本稿では、人民元為替制度の変遷、資本移動規制の緩和状況、金利自由化、短期金融市場の整備状況を整理した。現時点までのマクロ経済調整を見ると、量的なコントロールが主で、金利を使った金融政策のトランスミッションメカニズムはあまり機能していないと言ってよいが、ここ数年間で、金融・債券市場が大きく改善に向けて動いている点は見逃せない。また、人民元の国際化に伴って、大陸内の発行市場(株式、債券)が開放されれば、居住者としての中国に進出した外資系企業(金融機関、事業会社)だけでなく、非居住者としての海外発行体も、銀行借入以外の多様な資金調達手段を使っていけることとなろう。同時に中国政府は、金融政策の運営能力を高めていく必要もある。
- 日本は円の国際化に伴って、1980年代、1990年代に自国の金融・資本市場を開放し、自由化してきた歴史と経験を持っている。日本(官民)としては、今後の人民元の国際化に伴うリスクコントロールを兼ねて、中国との金融分野での対話を進めていくべきである。また、東京市場の人民元使用の可能性に向けた準備作業やアジア全体の金融協力を進めていくべきである。
- 中国の株式市場におけるA株の創設時や非流通株改革の着手時のように、当初評価の対象にもならなかったものが、その後、中国の資本市場の存在感を高める流れを作った例もあり、今後も小さな動きといえども、将来の大きな動きになりうる事象を見逃してはならない。この為には日本側の人材育成も重要である。