始動したフェア・ディスクロージャー・ルール

編集者の目2018年4月16日

野村證券金融経済研究所 経営役 所長 許斐 潤

2017年5月に成立した改正金融商品取引法が2018年4月に施行され、日本でもいよいよフェア・ディスクロージャー・ルールが始動した。法律や政令、金融庁から別途発表されたガイドラインは「解釈の幅」がある表現になっており、ガイドラインの冒頭でも「ルールの実施にあたっては…実務の積上げを図っていくことが望ましい…」とされている。つまり、安定運用までには、もう少し時間はかかるかも知れない。しかし、ルールの運用が始まったばかりの現時点でも市場(投資家)、事業会社、アナリストにとっての含意を何点か指摘することができる。

市場へのインパクトとしては、実際に米国で同様の規制が導入された際にも起ったことだが、第1に、アナリスト予想の分布が拡大すると予想される。日本証券業協会の「協会員のアナリストによる発行体への取材等及び情報伝達行為に関するガイドライン」(以下、協会ガイドライン)発効以前の、誰かに答えを聞ける問題の解答を巡る探り合いから、解答は聞けないので自分で考えることになるからである。その結果、第2に、株価の変動率は上昇することになるだろう。これは市場の公正性という観点からは、明白に正しいことである。正しい答えに向かって株価が円滑に収斂していた時代には、市場の大多数が答えを知らない時に答えを知っている一部の人だけがその答えに基づいて売買して利得を得ていたのだから、「大多数」対「一部」の不公正が存在していたことになる。この不公正は、ルールの始動で解消される。第3に、売買代金は発行体からの情報量が減って減少するか、予想や見方が多様化して増加するかの綱引きで、事前には分からない。流動性の高さが市場の効率性に繋がっていると考えるならば、売買代金が膨らむようにできるだけ多様な意見が市場でテストされることが望ましいだろう。

事業会社自体が規制の対象となったことから、導入当初は情報開示が慎重になるとの懸念もある。ただ、米国では全米IR協会(NIRI)の2001年の調査で、開示量が「増えた」と回答した企業が「減った」と回答した企業を上回っていたし、実際に会社の業績予想、いわゆるガイダンスを発表するようになった企業数は大幅に増えた。情報開示の後退は、さほど心配しなくても良いかも知れない。より長期的に重要なことは、米国では事業会社は公表したガイダンスから実際の事業進捗や見通しがズレていった場合には、速やかに開示する慣行が定着したとされる。この意味で、米国のフェア・ディスクロージャー・ルールは、投資家と企業のコミュニケーションを根本的に改善したという評価を受けている。日本でのフェア・ディスクロージャー・ルール導入にあたって事業会社のマネジメント、情報開示担当の方々に一点留意して頂きたいのは、協会ガイドラインやフェア・ディスクロージャー・ルールの導入によって、アナリストと業績関連の実績や未公表の見通しを含む打ち合わせはできなくなったということである。つまり、議論を通じた合意形成は出来なくなると同時に、それを補う発行体以外からの情報(海外の同業他社や独自のフィールド・サーベイ、あるいはいわゆるオルタナティブ・データのようなもの)のみに基づく判断がアナリスト・レポートに掲載され得るということである。この結果、短期的には株価が荒れるなど不都合が生じるかも知れないが、これが上述の多様な意見を消化するプロセスの一端を担う、ということを是非、ご理解頂きたい。

最後にアナリストである。まず、証券会社に所属するアナリストにとって、フェア・ディスクロージャー・ルールの導入は明らかに望ましい。2016年に協会ガイドラインが制定された際には、証券会社に所属するアナリストだけが対象となっていたので、不公平ではないかという声が少なからずあったが、フェア・ディスクロージャー・ルールによって全市場関係者が公平な扱いを受けることになった。筆者がより重要だと考えているのは、「一つの正解を巡る探り合い」、「知っている人を探して聞いてくる」競争から、「自分の頭で考える」競争に回帰するということである。内外の新規制や手数料の趨勢的下落、インデックスファンドの隆興、人工知能の導入などアナリスト業界を巡る環境変化の経緯や背景は紙幅の関係もあり多くは触れないが、筆者は「知っている人に聞いてくる」競争が一部で脱法行為を生み、平均的なアナリストの資質の劣化を呼んだことを極めて深刻に捉えていた。この流れに終止符が打たれる可能性が高まってきた。別の機会に本来のアナリスト業務を「知の決戦場」と表現したが、今、まさにそこへの回帰、「INSIDE(情報源)からINSIGHT(洞察力)」への転換を強い意志をもって推進していかなければならない。それは、上述した経路を通じて市場の効率性、公正性に直結するのである。

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