米国インフレリスクの検証
-景気拡大は高インフレをもたらすか-
論文2018年5月21日
ノムラ・セキュリティーズ・インターナショナル 雨宮 愛知
目次
- I.はじめに
- II.インフレのトレンドと短期的なノイズ
- 短期的なノイズが2017年のインフレ低下をもたらした
- 一時的な要因を除外して、インフレトレンドを判断するFRB
- III.インフレモデルを用いた予測
- 野村のコアインフレ予測モデルの特徴
- 失業率の低下、為替レートのコアインフレへの影響
- IV.労働市場の需給とインフレの関係
- 野村のインフレ予想に対するアップサイドリスクは限定的
- 労働市場の需給に対するインフレの感応度は低下
- 失業率がさらに低下すると、インフレは加速するのか?
- 労働市場のタイト化にもかかわらず、賃金インフレは加速せず
- 構造的な要因が賃金インフレを抑制
- V.住宅市場、医療サービス市場の重要性
- 物価指標に占めるウェイトの大きな品目の価格動向
- 賃貸住宅市場の需給がインフレにもたらす影響
- 医療サービス価格:公的保険を通じた医療費抑制策の影響
要約と結論
- 2009年6月から始まった米国経済の景気拡大は9年が過ぎようとしている。この間、ピーク時に10%だった失業率は3.9%(2018年4月時点)へと改善した。なかなか求人が埋まらない、あるいは人手不足だといった声が企業からも聞かれるようになった。しかし、景気が過熱しても、「経済の体温計」と呼ばれるインフレには加速する気配がない。景気の長期拡大にもかかわらずインフレはなぜ加速しないのかを考察した。
- エネルギー及び食料を除いたコアPCE価格指数の前年比(コアインフレ率)は2017年前半に大きく低下したものの、それはごく限られた品目の価格低下によるものであり、景気全体の動きを反映したものではなかった。FRBは、2017年前半のコアインフレの低下を一時的な現象だとみなして、金融引き締めを継続した。この事例は、インフレ圧力が高まっているか判断する際に、短期的な要因によるインフレの変動(ノイズ)を排除して、そのトレンドを読み取ることが重要であることを示唆している。
- 野村では、労働市場における余剰労働力は今後さらに減少すると同時に、2017年から始まったドル安によるインフレ圧力も発生すると考えている。ただし、野村のコアインフレ予測モデルに基づく推計では、労働市場の余剰労働力の縮小とドル安の影響を合計しても、(それらが全く起きなかった場合と比較して)コアインフレ率は2019年10~12月期時点で+0.30%ポイント程度押し上げられるのに過ぎない。
- 失業率が歴史的に低い水準にあるにもかかわらず、インフレ率が急加速しないと予想する理由の1つは、労働市場における余剰労働力の変化に対するインフレ感応度が低下(フィリップス曲線の傾きが平坦化)しているからである。余剰労働力が極めて少なくなると、インフレの余剰労働力の減少に対する感応度は高まる(フィリップス曲線の傾きは非線形であり、失業率が低い場合急こう配になる)との議論がある。しかし、地域別データを用いてフィリップス曲線の非線形性を考慮しても、線形フィリップス曲線を想定した場合との差はそれほど大きくなく、インフレはごく緩やかに加速するという結論に変更は生じない。FRBの利上げペースを加速させるような水準(2.5%超)まで今後2年以内にインフレが加速する可能性は20%程度と限定的だと考えている。
- 労働市場の需給を反映して動くはずの賃金インフレにも加速の気配が見られない。賃金インフレを抑制している要因には、(1)余剰労働力の存在、(2)労働生産性の低迷、(3)労働市場の流動性の低下、などが挙げられる。このうち、(2)と(3)については構造的な問題であり、今後も賃金上昇を抑制すると考えられる。
- コアPCE価格指数に占めるウェイトの大きな家賃及び医療サービス価格の動向を分析すると、前者は大都市圏における賃貸住宅の供給過剰が、後者は政府による医療費抑制策が、それぞれ価格上昇の抑制要因として作用していると考えられる。こうした個別価格に基づく分析も、緩やかなインフレの上昇という我々の予想をサポートする材料になっている。
- トランプ政権による拡張的な財政政策によるサポートを受けて、景気はさらに力強さを増すと考えられている。しかしながら、インフレの決定メカニズムにおいて、経済の需給バランスあるいは労働市場の余剰労働力の重要性は低下しており、経済成長ペースが多少加速してもインフレが大幅に昂進するリスクは小さいと考えられる。仮に、市場に織り込まれている金利先高観がインフレリスクを反映したものであるならば、それは今後修正される可能性がある、という点に注意が必要だろう。