創業者「野村徳七」 7.『調査の野村』の発祥

橋本喜作

新発足に際しては、店舗の模様替えや取引上の改革など、旧来の慣習をことごとく捨て去り、変革を図ったが、とくに店の陣容の整備にはもっとも力を入れた。結婚当時は、店員は番頭、手代、丁稚あわせてわずか6名。実三郎のような良き相談相手はいたが、信之助の経営ビジョンを実現するには貧弱な陣容であった。そのため、学校出を積極的に採用することにし、明治39年には当時大阪毎日経済部記者であった橋本喜作を入社させた。

この年に調査部を設立し、その責任者に橋本を登用し、他に先駆けて独自の調査活動を開始した。このとき、『大阪野村商報』を発刊して一般顧客に配布した。前日の市況、特殊株の内容分析、経済時事問題などを載せたその斬新な内容は、当時他に例を見ない顧客サービスで、読者の間に大きな反響を呼んだ。後年大きく発展を遂げる「調査の野村」は、実に、この年に発祥したのである。