野村證券金融経済研究所 シニア・リサーチ・フェロー兼アドバイザー 許斐 潤

 

企業価値創造の旅も終盤に差し掛かってきた。旅の目的の原点に立ち返ると、企業の価値創造プロセスを「ステークホルダーに理解してもらう」ことであった。外部の投資家・顧客・社会は、「価値創造を誰が、どのように実現するのか」を知りたがっている。従業員・サプライヤーにしても、その点が肚落ちしていないと「我が事」として価値創造のサププロセスを担えないだろう。そこで、本稿は戦略の実行を担う人的資本について、どのようにステークホルダーに伝え、理解と信頼を得るかに焦点を当てる。

 

伝えるべき情報に定型のフォーマットがあるわけではないが、一つの私案としてまず四つのブロックに構造化して示すと分かりやすいのではないか。方針、主要施策、成果指標、ガバナンスである。方針は企業が人的資本に対して何を重視するかを短く示す(例:イノベーション人材の強化、顧客対応力の向上、働きがいの創出)。主要施策は方針を実現する具体的な取り組み。成果指標は取り組みの効果を示す数値や事例、ガバナンスは意思決定と監督の仕組みである。ステークホルダーはまずこの四つを見て、企業が人的資本を戦略的に扱っているかを判断する。次に、「因果の見える化」が不可欠だ。施策の羅列で終わらせず、なぜそれが価値につながるのかを明示する。人的資本情報は、戦略上の必要能力→実施した施策→事業成果(顧客満足、売上、イノベーション等)→財務的インパクト、という一連の因果で示すのが望ましい。例えば「顧客対応の強化」を掲げるなら、必要能力(CS担当者の問題解決力)、実施施策(教育と権限移譲)、成果(解約率低下・NPS向上)、財務効果(LTV向上→安定収益)という流れを短い図や表で示すだけで、投資家の評価は格段に進む。因果が明確であれば、施策の妥当性と実行力を外部は合理的に判断できる。

 

三つ目は物語性の整備だ。人的資本にまつわる変化や改善は、数値だけでは伝わりにくい。方針と指標に加え、典型的な「一つのストーリー」を添えると説得力が増す。たとえば、ある若手研究者がどのような育成経路を経て重要な発見に至ったか、あるいはカスタマーサクセスの改革がどのように顧客の離脱を防いだか。その人物を媒介にした事例は、組織の学習や文化の変化をステークホルダーに実感させる。ただし物語は装飾に終わらせず、必ず定量や指標と結びつけ、全体の因果に位置づけることが前提である。情報の粒度と更新頻度も配慮すべき点だ。投資家は長期的な価値創造の観点から中長期指標(人材ポートフォリオ、主要職種の流出率、育成投資額と回収見込み)を重視する。一方で従業員や顧客は日々の働きやすさやサービス品質に直結する短期指標(エンゲージメントスコア、離職率、CSAT)を重視する。開示は「誰に何を示すか」を意識して階層的に行うと判りやすいのではないか。全体像は年次報告で、運用の動きや改善は四半期/半年ごとのアップデートで示すと受け手の理解が深まると思われる。透明性と正直さは信頼構築の基礎である。問題やギャップを隠蔽すると、後で信頼を失う。むしろAs is/To beのギャップを明示し、その優先順位と投資計画を示すことが重要だ。投資家は完全な答えよりも、課題に対する誠実な認識と合理的な解決プロセスを評価する。取締役会での人的資本監督体制、外部有識者の活用、従業員代表との対話といったガバナンス構造も明確にしておく必要がある。

 

最後に、言葉と指標の一貫性を保つことを強調したい。パーパスやミッションで掲げた価値を人的資本開示でも同じ言葉で繰り返すと、読み手は企業の整合性を感じ取る。逆にそこに不整合があると信頼を損なうリスクがある。KPIの選定では、戦略との因果に沿った指標を優先し、多数の指標から「本当に重要な3~5指標」を抽出して提示すると判りやすいと思う。指標が多すぎると、かえって要点がボケるのではないか。
まとめると、人的資本経営をステークホルダーに伝える際の骨格は四つだ。方針・施策・指標・ガバナンスで構造化し、因果の道筋を見える化し、物語で実感を与え、透明性と一貫性を担保する。「言うは易し」ということは十分に認識している。この方向で説明に挑戦し、時間の経過とともにブラッシュアップしていけば、戦略を実行する人材への信頼は確実に高まると思われる。次回は、このコミュニケーションを支えるKPI設計とダッシュボードについて、どの指標を選び、どう提示すればステークホルダーの理解と信頼を得られるかを掘り下げる。
 

(注1)    今回のコラムは実験だった。企業価値創造の物語(1)~(6)のテキストを生成AIに読ませ、続編のプロットを提案させた。何度か、やり取りをして内容を固めた。その構成案をもとにテキストを生成させた。結果、1,710文字の文章が出力された。それを校正して162字削り、285字追加して1,833文字の文章にしたのが上の本文である。文に手を入れたのはほとんど導入部分と次回への繋ぎの箇所で、文章の核心部分はほぼ手付かずである。次回以降はまた人間が書き下ろす予定だが、今後、「もの書き」稼業には甚大な影響がありそうなことを実感した。

(注2)    結果として、ややアルファベットの略語が多くなってしまったようだ。CS:顧客満足度、NSP:顧客推奨度、LTV:生涯顧客価値、CSAT:酷悪満足度スコア、As is/To be:現在の状態と望ましい未来の状態、KPI:重要業績評価指標。