野村證券金融経済研究所 シニア・リサーチ・フェロー兼アドバイザー 許斐 潤
経済産業省の「価値協創ガイダンス」は初版(2017年5月)も、第二版(2022年8月)も、左から右に向かうフローチャート様で、一番右側がガバナンスとなっている。つまり、長かった価値創造の旅もここが終点だ。ここでの課題は、価値観(企業理念)~ビジネスモデル~マテリアリティ~戦略~実行~測定・学習・適応と歩んできた旅全体の工程を実効あるものとすることである。前回の最後には「・・・学習と軌道修正のサイクルが組織内で正しく機能しているかを監督し、戦略と企業理念と整合性を担保し、物語全体に説明責任を負う仕組みがガバナンスである。」と書いた、その点を、もう少し掘り下げてみよう。
ところで、日本ではコーポレート・ガバナンスを「企業統治」と訳してしまったので、統制・管理、法令遵守、行為規制といった意味合いが濃い用語として認識されているように思われる。いわゆる「守り」のガバナンスである。これに対して、「攻め」のガバナンスということが言われる。しかし、筆者の私見では、上場企業のコーポレート・ガバナンスとは偏に「株主の利害にアライン(align)すること」であり、守りも攻めもない。株主から負託を受けた取締役会が、もし執行陣が守り過ぎていたら攻めを促し、逆に攻めすぎていたら守りを促すということだと理解している。その目的は企業価値の創造である。標準的なファイナンスの理論では、企業価値はキャッシュフローの長期的な成長を、透明性のあるロジックで説明することで創造される。執行陣が守り過ぎていたら十分なキャッシュフローが生まれないし、攻めすぎていたら長期的な持続性に疑義が生じる。また、守りにせよ攻めにせよ、独り善がりで外部から分かりにくい論理に基づいていたら、執行陣の考えていることは大幅に割り引いて受け取らざるを得ない。あまり一般的ではないかもしれないが、これを本稿では規律と客観性という二面でとらえたい。
既述のように、企業価値はキャッシュフロー、持続性、透明性のバランスから生じる。規律というのはいずれも極端に走らず、「ちょうど良いところ」に居続けるフィードバック機構を備えるということと捉えたい。日本では「中庸」というと「可もなく不可もなく」というニュアンスを含んでいるが、そうではなく、短期のキャッシュフローにのみ走らず、持続性を犠牲にせず、株式市場が理解に苦しむ言葉を使わないという意味である。そのためには、取締役会と執行陣のファイナンス・リテラシーを高め、取締役会の専門性と経歴の多様性を確保する必要がある。単に属性上の多様性でなく、上の意味での規律を生む「意見の多様性」が重要だ。
客観性というのは、「理に適っている」という意味では上の意味での透明性と重なる面もある。ここではもっと具体的に言うと、執行陣が内向きな論理や過去の成功体験に縛られる集団思考に陥るリスクを排除するということである。経営者自ら多様性の重要性を強調する昨今においても、特定の事業領域や経営環境で優れた成果を上げてきた経営幹部は、金太郎飴とまでは言わなくとも、そうした領域や環境に即した類似の強みを共有することが多いだろう。この状況で集団思考を排除するための必要条件は取締役会の多様性であろうが、十分条件は取締役会の執行からの独立性である。そのためには、理想的には独立社外取締役が取締役会の過半を占め、社外取締役が取締役会議長として取締役会の議論を主導して、取締役会とできれば指名委員会が独自の事務局・スタッフを持つべきではないか。歴代や現・代表取締役や執行側の意向から完全に独立した代表取締役の指名・解任は、取締役会の一つの完成形と言えよう。
これらの要件を具備した取締役会に監督された経営であれば、一般株主から見ても「ガバナンスが効いている」と実感できるだろう。もちろん、これらの活動は単に取締役会と執行陣の相互作用ということではない。前回指摘した戦略の実行→測定→学習(対話)→適応(軌道修正)という一連のサイクルを回すために、取締役会・執行陣が機関投資家をはじめとする市場と有効なコミュニケーションをとることも重要なガバナンスの一環である。
と、ここまでで、企業の価値創造プロセスを有効にステークホルダーに伝えるための旅路は無事に目的地に到着した。次回は、ここまで言い散らしてき旅の全貌を旅行記にまとめて旅の完了ということにしよう。
「価値協創のための統合的開示・対話ガイダンス-ESG/日財務情報と無形固定資産」[2017] 経済産業省
「価値協創のための統合的開示・対話ガイダンス2.0-サステナビリティ・トランスフォーメーション(SX)実現のための価値創造ストーリーの協創」[2022] 経済産業省