野村證券 金融経済研究所所属 シニア・リサーチ・フェロー 許斐 潤

 

この「経済金融コラム」は、主として野村證券金融経済研究所に所属するベテラン・リサーチャーが日頃の業務を通じて感じたり、身に付けたりした「思い」を業務上のレポート調ではなく、少しフランクな調子で書き綴るという趣向である。従って、当コラムに表現された意見や判断は執筆者個人のものである。特に、今回の企業価値創造の物語(番外編)の内容は完全に筆者個人の主張であり、所属組織の見解を代表するものではない。この点を、コラムの冒頭で改めて強調しておきたい。

 

1年半以上も前のことだが、旅が始まった第2回で企業の存在意義に触れた際にそこでは深入りせず、「・・・旅の終盤で再考したい」としておいた。今回、番外編でこれについて私見を詳らかにしておきたい。要するに、会社は誰のものか、誰のために企業価値を創造するのか、ということである。筆者の意見では、それは第一義的に「株主」である。と言っても、後述するが極端な株主「至上」主義、他のすべてを犠牲にしても株主に尽くすべきである、ということではない。対極の考えにマルチ・ステークホルダー主義があるが、エージェンシー理論で有名なマイケル・ジェンセンは「複数の目標というのは、目標がないのと同じだ」と言っている。事を成すには一つの目標に向かってまっしぐらに当たらなければ成果は覚束ないということであろう。虻蜂取らず、二兎を追う者は一兎をも得ず。まして三兎、四兎狙いでは・・・。筆者の論点は、以下の3点である。

 

第一に、会社法の建付けである。会社法では株主総会に取締役の選任権、解任権がある。機関設計によって多少差異はあるが、取締役会は基本方針や業務執行陣を決定し、代表取締役の選解任の権限がある。つまり、取締役会にせよ、経営委員会等(執行役・執行役員会)にせよ、株主・株主総会の意に沿わない決定や執行は行われないと期待される。もっとも、プリンシパルである株主の総意が「自分たちはもう十分に報われているから、あとは従業員や取引先に還元してやってくれ」というなら、その意思に沿って資金配分が行われることはあり得なくはない。ただ、それを言い出すのはあくまでもプリンシパルであって、エージェントたる経営者ではないはずだ。

 

第二に、会社がコミットしているのは企業価値である。縦軸に利益(ないしキャッシュフロー)、横軸に時間をとった将来の利益推移グラフを考える。本コラムでは何回か紹介してきた概念だが、会社が株主にコミットしているのは単年の利益(棒グラフの高さ)ではなく、長期的な累積利益(長方形ないし台形の面積)である。株主以外のステークホルダーの取り分は契約や法律で一定水準が保証されているが、株主だけが残余価値への請求権しかない。逆に言うと、株主への配分を最大化することが当該企業の「価値創出力」を最も効果的に発現させることになるといえる。

 

第三に、啓発的株主価値である。若干形式ばった議論になることをお赦し願いたい。基本的なミクロ経済学の利潤極大化命題では、企業は諸生産要素間の経済的、制度的、物理的の制約条件の下で、利潤関数を極大化するように生産量を決定すると定式化される。この時、制約条件には最も基礎的なモデルで登場する予算制約だけではなく、法令・諸規則、様々な環境・社会課題、レピュテーション・リスクへの配慮なども含まれていると考えることが妥当である。そうでないと、事業活動の正当性(社会的ライセンス)が脅かされかねない。つまり、企業が従うべき制約条件には、「長期的に見て株主以外のステークホルダーの反発・離反・不信を招かない範囲で」という含意があるのである。直前の利益推移グラフで例えると、あるタイミングの棒グラフを(周囲の反対を押し切って)無理やり高くすると、それ以降の事業に支障を来たして累積の面積はむしろ小さくなってしまうかも知れないということである。

 

以上の視点から、私の意見では「いい/悪い」「正しい/間違っている」「好き/嫌い」ということではなく、株主のために企業価値を創造する(株主価値を創造する)ことが、企業が最も効率的に運営されているということなのである。

M.C. Jensen, “Value Maximization, Stakeholder Theory, and the Corporate Objective Function”, Journal of Applied Corporate Finance 22 [Winter 2010]