野村資本市場研究所 野村サステナビリティ研究センター長 江夏あかね
AIガバナンスとは、端的には、人工知能(AI)利用によるリスクを管理・抑制しつつ、最大限の便益を得ることを目的とするものである。AIの急速な発展・普及は、企業活動における生産性向上や新サービスの創出などの便益をもたらす一方で、偽情報・誤情報の拡散、バイアス、プライバシーや知的財産権の侵害、サイバーリスクなど、様々なリスクの顕在化にもつながっている。このような状況を受けて、AIガバナンスの重要性が近年、世界的に認識され、国際機関、各国政府が原則・ガイドラインを策定したり、法規制を整備してきた。併せて、企業も自主的な取り組みを行うケースが増えている。
各国・地域のAIに関する法規制を見ると、経済・産業社会構造、歴史・価値観が異なることもあり、AIに関して異なる法規制のアプローチをとっているほか、技術進化や政治的思惑により急に変化する傾向も観察されている。欧州連合(EU)は2025年2月、包括的なAI規則の適用を開始したが、イノベーション抑制への懸念を踏まえ、2025年11月には手続き簡素化や高リスクAI規制の適用延期を盛り込んだデジタル・オムニバス法案が公表された。米国では、トランプ政権が2025年1月に規制緩和を支持する大統領令を打ち出し、同年12月には州レベル規制を牽制しつつ連邦法整備へ向けた動きも見られた。
一方、日本は、イノベーション促進とリスク対応の両立を掲げる「人工知能関連技術の研究開発及び活用に関する法律」(AI法)を2025年9月に全面施行した。同法は、AI戦略本部の設置を始めとして多くの条項が国を対象とする内容となっている。活用事業者についても、国が活用事業者等に対して状況に応じて指導・助言を行う旨が示されたが、EUの規制で設けられているような活用事業者に対する罰則規定は含まれていない。AI法施行後の2025年12月にAI基本計画とAI指針が策定され、AIガバナンスの重要性が随所に示された。また、2026年3月には総務省・経済産業省が「AI事業者ガイドライン(第1.2版)」を公表し、事業者等に向けてAIガバナンスの構築に向けた行動目標等が提示された。行動目標では、企業等の活用事業者に対して、環境・リスク分析、(2)AIガバナンスに関するゴール設定、(3)システムデザイン、(4)AIマネジメントシステムの運用、(5)評価、(6)環境・リスクの再分析、の実施を促している。
企業側の対応状況を見ると、日本企業の多くは既に何らかのAIガバナンス体制を整え始めている。ただし、全社的に統一された仕組みや、経営レベルでの定期的なレビューと改善は道半ばと言える。特に、最終判断を人間が担保する仕組み、AIの出力や判断過程の説明可能性を担保できる体制、AI固有リスクの特定・評価・軽減は、強化が必要な領域となっている。
この点に関して、米国企業の対応状況を見ると、AIが収益性・競争力・法的リスクに与える影響の大きさから、情報技術、通信・サービス業界の上場企業を中心に、取締役会レベルでの監視体制構築を急ぐ動きが散見される。その背景の1つとして、米国企業に対するAI関連の株主提案が年々増加していることが挙げられる。提案内容は、取締役会の監督、人権、偽情報・誤情報、プライバシー等、様々な分野に関する対応を要求するものが中心となっている。環境・社会・ガバナンス(ESG)データプロバイダー大手のモーニングスター・サステイナリティクスが2025年5月に公表した調査結果によると、例えば、メタ・プラットフォームズやアルファベットに対する偽情報・誤情報やAI主導のターゲット広告等の提案で高い支持率となっており、投資家の関心が単なるAIに関する技術評価ではなく、ガバナンス・社会的影響の評価にも広がっていることが示唆される。
さらに、投資家が企業に対してAI利活用に伴う企業価値への影響の開示を求めている点も注目に値する。例えば、米議決権行使助言会社のグラス・ルイスが2026年2月に公表した投資家アンケート調査結果では、米国投資家の大部分が、すべての企業がAIガバナンスの問題と倫理に関する取締役会の監視について明確な開示を提供すべきと考えていることが明らかにされた。このような状況も踏まえて、米国証券取引委員会(SEC)の投資家諮問委員会(IAC)は2025年12月、SECに対して、企業のAI利用に伴う影響の開示に関する勧告を公表した。同勧告では、(1)発行体が、「AI」という用語を使用する際に何を意味するかを定義する、(2)企業におけるAIの導入を監督するための取締役会の監視メカニズムがある場合は、それを開示する、(3)重要であれば、発行体は、AIをどのように導入しているかに加え、AIの導入が社内業務及び消費者が直面する問題に及ぼす影響について報告すべき、とした。
以上のように、AIガバナンスは、規制対応コスト、インシデント発生時のレピュテーション(風評)の毀損、訴訟・賠償リスク、資本効率、そして成長機会の取り込みまで含め、企業にとって金融資本市場からの評価を左右する経営課題と位置付けられつつある。今後、AIを積極活用する企業は、「どのように活用するか」のみならず、「どう統治しているか」がますます問われることになろう。投資家もまた、AIを成長ストーリーとして追うだけでなく、企業のガバナンス対応力を見極める意識が求められる。