野村證券 金融経済研究所所属 シニア・リサーチ・フェロー 許斐 潤
筆者がいくつかの研究会や委員会で座長や委員を務めている日本証券アナリスト協会では、「証券アナリスト職業行為基準」※を定めている。これは投資情報の提供、銘柄推奨、投資管理(資産運用)など証券分析業務に携わるプロフェッショナルが、日々の業務を遂行する際の規範となる職業的専門家のための自主ルールである。単なる「形式的なチェックリスト」ではなく、詳細な条文の隙間をすり抜ける不実を排し、自発的に顧客のために最善と尽くすというプロフェッショナル倫理を反映した「実質的な行動基準」である。ルール・ベースではなく、プリンシプル・ベースの考え方を土台にしている。
この基準の核心に流れているのは、「信任関係(Fiduciary Relationship)」と、それに伴う「信任義務(Fiduciary Duty)の原理である。一般的なビジネスにおけるギブ・アンド・テイクの売買契約では、売り手・買い手双方が対象となる製商品の仕様・品質などを確認してお互いの情報格差がないまま代金の授受が行われる「対等な関係」である。他方、専門的な知識を持つプロフェッショナルと顧客の関係は医師と患者、弁護士と依頼人の関係に近い。すなわち、顧客側が自身で評価・判断することが困難な専門領域においてプロフェッショナル側の能力、見識、人格を全面的に「信用、依存、一任」することで成り立つ信頼関係である。つまり、狭義のアナリスト、営業担当者、資産運用担当者は、単に契約条項を守るだけでなく、顧客に真に忠実に、かつ職業的専門家として十分な注意をもっと行動する、という重い倫理的責任が課せられている。この信任義務を強靭に支えているのが、「忠実義務(Duty of Royalty)」と「注意義務(Duty of Care)」という二大原則である。本コラムは「職業行為基準」の条文解説を目的としているわけではないので、詳細は「基準」の本文や脚注の「実務ハンドブック」にあたって頂きたい。突き詰めて言うと、金融のプロフェッショナルは専ら顧客の最善の利益に資することのみに専念する義務を負う。また、その際にその時の状況に応じて専門家として尽くすべき注意、技能、配慮、勤勉さをもってあたるとの任務をも帯びる。
ところで、家計から企業への資金還流を繋ぐ「インベストメント・チェーン」の本質は、単なる資金のパイプラインではない。チェーンの最上位に位置する年金加入者や個人投資家といった最終受益者から、チェーン上の各主体への信頼のバトンを繋ぐ「信任の鎖」フィデューシャリー・チェーンである。上掲の「行為基準」を従う金融のプロフェッショナルは紛うことなきチェーンの一部であるが、それ以外のチェーン上の主体も最終受益者からの信任を意識して業務を遂行するべきであろう。会社法では取締役の忠実義務を定めているし、取締役は会社と委任契約を締結しているので民法により善管注意義務に服さなければならない。取締役ではない執行役員は会社法上の忠実義務は負わないが、業務執行責任や会社利益優先の行動が期待されるはずである。2010年代半ばまで日本の株価が低迷していた背景にはこのフィデューシャリー・チェーンの機能不全があるとの認識の下、一連の改革が進められてきた。その後の株価推移をみる限りこれらの改革は奏功したようにみえるが、さらに「フィデューシャリー」という観点からまだ磨きをかける余地は残っているように思える。
金融としては市場機能が健全に機能することに腐心しなければならない。短期的な株価変動に影響を与える情報に強い需要があるという現実はあるが、企業の長期的なリスクテークをきちんと評価できなければ成長投資が滞りかねない。取引関係を慮った明らかな「忖度レポート」はエンロン事件以降途絶したと思うが、投資評価の強気/弱気の非対称性は現に存在している。市場での低評価を契機に経営者が自社のガバナンスや経営を見直すという規律が効果を発揮するためには、一貫性のある公明正大な投資情報が発信されていなければならない。それに対する報復的な言動も「信任の流れ」の目詰まりとなり得る。問題はガバナンス改革の進展や情報開示姿勢・IRも含めて意識や行動の面での先頭集団と、後続組の格差が大きいということである。後続組の意識の問題でもあるが、市場を通じた評価・資源配分のメリハリを通じて全体の底上げが期待される。なかなか「底が上がってこない」のは、低評価企業への試練がまだ甘いからではないか(アナリストの矛先が鈍っている)。インベストメント・チェーン上の全主体で最終受益者の最善利益が達成されたときに、チェーン全体及び各主体で、最善の効率が実現されているはずである。
※ 証券アナリスト職業行為基準
基準の趣旨や仮想の事例を解説した「証券アナリスト職業行為基準実務ハンドブック」(全179ページ)は、協会の会員なら協会のホームぺージからダウンロード可能。一般向けにも協会で冊子を販売している。