創業者「野村徳七」 2.両替商

両替商の天秤

両替商は大阪において生成発展し、その後江戸でも発達した。大阪では、本両替、南両替、銭両替の三種と、本両替を取締まる十人両替があった。本両替は通常、両替屋と呼ばれ、今日の銀行に似た業務を営んでいた。銭両替の範囲はせまく、資力も微弱だった。南両替は大阪の南部で、一つの集団を形成して両替業を営んでいた業者のことで、銭両替より資力があり、金銀の売買や両替を行い、本両替と銭両替の中間の位置にあったといえよう。本両替を取締まる地位にあった十人両替は、両替商のうちで最も信用があり、幕府公金の取扱い、諸大名への資金融通、金銀相場の決定など、江戸時代後期の金融機関として絶大な権力をもっていた。