地方金融機関との提携100年先を見つめ、地方と共に生きる
社会課題解決の使命が持続的成長の原動力

地方経済の活性化に向け、地方銀行との新たな提携ビジネスを始動した野村グループ。提携にかける思い、前例のないビジネスモデルへの不安、見えてきた成果。関係者が集まり提携ビジネスについて語る、3回シリーズ。

《登場人物紹介》

提携ビジネス成功への強い決意

地域のためにもっと何かできないか
思いの共有からスタートしたプロジェクト

2019年8月山陰合同銀行グループと包括的業務提携に向けた検討開始を発表。翌2020年1月には徳島県を地盤とする阿波銀行とも基本合意締結。相次ぐ地銀との提携のニュースは、社内外から大きな注目を浴びた。その背景にはどんな目的と思いがあったのだろう。

「私たちは社会課題の解決を通じて持続的な成長を実現するために、既存のビジネス領域を広げ常にサービスを進化させてきました」。
そう語るのは野村證券副社長の新井。さらに、提携ビジネスへの思いをこう話す。
「併せて、そのサービスを今まで以上に多くのお客様に届けていくことを目指しています。私自身20年ほど前に米子支店に勤務していた経験があり、当時から野村の商品・サービスをもっと広く、多くの方々にお届けしたいと思い続けてきました。人生100年時代といわれる今こそ、地方のお客様にもっと元気になっていただきたい。そんな思いから今までにない踏み込んだ業務提携を行うこととなりました。今回の提携は我々の最重要戦略の一つと考えています」。

まさに金融資本市場を通じて真に豊かな社会の創造に貢献してきた野村グループの使命ともいえる事業だ。

実は地方銀行との提携ビジネスは古くから行われてきた。経営役の山脇がその歴史を解説する。
「我々の地方銀行への証券業務支援の歴史は、銀行等に投信の窓口販売業務が解禁された1998年に遡ります。その後、2004年に金融商品仲介業務が解禁され、大手地方銀行が証券子会社を設立する流れができます。当初は、なぜ地方銀行を支援するのか疑問の声もあがりましたが、各地域に資産形成や資産運用のサービスが広がっていくことを願い、サポートを継続してきました」。

このように、野村には地域のためにビジネス領域を拡大してきた歴史がある。

それでは今回の業務提携には一体どんな経緯があったのだろう。山脇が続ける。
「今回の提携に至るきっかけは、5年ほど前。地域のためにもっと一緒に連携できないか、という山陰合同銀行と野村の会話からスタートしています。このような提携は過去に例がなく、山陰合同銀行・阿波銀行の両行には難しいご判断だったかと思いますが、交流するなかで築きあげてきた信頼関係と、『2つの一本化』というスキームによって実現しました。営業のフロントは銀行に、商品、サービス、システム、そして営業ノウハウは野村グループに一本化するという『2つの一本化』により、迷いなく地域のために協力することが可能になった。実務開始まで、それぞれのプロジェクトメンバーが議論を重ね、さまざまなハードルに直面しながらも、地域の将来のために乗り越えてきました」。

こうして、前例のない航海が始まった。

《100年先を見つめ、地方と共に》

写真左から、島根県松江市、鳥取県米子市、徳島県鳴門市

地方銀行出向という不安と戸惑い
提携業務開始までの険しい道のりをひた走る

思いを一つにした船出だった。しかし、現場から不安や戸惑いの声が聞こえてきたのも事実だ。

「山陰合同銀行に出向することになるとは想像もしていなかったので、私と同様に家族や友人も大変驚いていました」と話すのは、出向している村田。「業務提携することによってお客様に提供するサービスはどのように変わるのか、野村證券の社員はどのような働き方になるのか」など、当初は不安を感じながら日々を過ごしていた。

一方、一足先に公表された山陰合同銀行の例を、当時の徳島支店ではどう受け止めていたのだろう。

「当社にとって大きなビジネスチャンスになるだろうと期待を持って見ていました。しかし当事者になって、支店の全員が出向し銀行員になることに正直不安も感じました。文化や歴史、業務に大きな違いがあり、両者がうまく融合できるのかと」。そう話すのは、現在阿波銀行の現場で最前線に立つ郡。

現場を取りまとめる部長である松尾の苦悩もまた深いものがあった。
「この時すでに水面下では阿波銀行との話が進んでおり、一緒に働く85名の社員がどう感じるのか、どうモチベーションを上げていけばいいのか、そればかりを考えていました。そして実際に業務提携が発表されると、社員からは、まさか自分がという戸惑いが感じられました。ただその中においても、全員でこの提携の意義を理解しながら1年半準備してきたことは、とても有意義だったと思います」と当時を振り返る。

金融を通じて地域の発展を実現したい
ビジョンの共有を重ねることで乗り越えた壁

それぞれの立場で、それぞれの壁が立ちはだかる。出向メンバーは、それらをどう克服したのか。

松尾は、阿波銀行と共に掲げたビジョンが原動力になったという。
「阿波銀行と一緒にこの徳島から預かり資産ビジネスのモデルを変えていこうと思いました。そうした思いから『徳島を金融先進県に』というキャッチフレーズが生まれ、みんなの気持ちが一つになりました」。

ここでは銀行における証券ビジネス全般のこと

松尾のもとで業務にあたる野村は、コミュニケーションによるビジョンの共有を積極的に図った。
「旧野村證券徳島支店のメンバー全員で、提携への不安や期待、意義について話し合うことを重視しました。業務開始に向けては、『阿波銀行との提携によって私たちが目指すべき姿』『徳島県を金融先進県にするために何をすべきか』『阿波銀行のみなさんに野村證券を知ってもらう』などをテーマに議論を重ねたほか、阿波銀行ともお互いの社史や経営理念について研修を繰り返すことで関係構築を深めていきました」。

こうしたビジョンの共有と双方の理解促進により、一体感が生まれていった。

一方、経営層でも急ピッチで準備が進んでいた。金融商品仲介推進部において業務提携の陣頭指揮をとった部長の並川が当時を振り返る。
「当社にとってはじめての取り組みであり、前例のない決断の連続でした。その中でも最もこだわった点は、野村證券の本支店と同レベルのサービスを提携先銀行に提供すること。それが実現できなければ、出向している社員は100%の力を発揮できず、その先のお客様の期待にも応えることができない。金融を通じて地域の発展に貢献したいという思いは両行と野村の間で共有できていたので、常に前を見て進んでいきました」。

地方経済の低迷という社会課題と向き合い、野村に求められるものは何かを問い続けた出向メンバー。それぞれのやるべきことを愚直に実行することで壁を乗り越えていった。働く場所は変わったが、豊かな社会の創造に貢献するという野村のDNAは一人ひとりの胸にしっかりと刻まれていた。

第2回へ続く

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