ギスギスした社会への覚悟

経済金融コラム2023年12月15日

野村證券金融経済研究所 シニア・リサーチ・フェロー兼アドバイザー 許斐 潤

「和を以って貴し」とする我が国の文化では、とても嫌な語感のタイトルと思われるだろう。リモート・ワークが常態化し、若い世代は昭和チックのウェットな人間関係を嫌う傾向にある。一つの組織にとらわれないドライなキャリア観が浸透し、しかも人工知能が社会のすべての局面に実装される。こうした中、世の中で人間味のあるコミュニケーションが希薄となり、不協和音や対立・分断が定着するディストピアが到来する・・・と言っているのではない。むしろその逆でどんなに環境が変わろうとも、意識して自己変革に取り組まなければ日本人の同質性、敢えてきつい言葉を使うと予定調和、大勢順応、付和雷同・・・は変わらないのではないか、という危機感を共有したいのである。筆者はリサーチャーという職業柄、若いころから生意気に言いたいことを言ってきた方だろう。しかし、「本音を言うと皆の言っていることとはちょっと意見が違うのだが、ここは議論を進めるために波風を立てるのは止めておこう」と思ったことは1回や2回ではない。しかし、これからの日本で必要とされているのは、人口動態的にも経験知識的にも多様性が広がる中で、意見の違いを敢えて表出して対話を通じて意見の相違を埋め、合意を探ろうとする態度であろう。

2023年11月21日付日本経済新聞によると、東北大学で「国際共修」というユニークな取り組みが行われている。「お笑い」を題材に留学生と日本人学生がこれまで疑問に思わなかった「当たり前」を他者との意見交換により問い直し、議論を重ねる。育った環境も受けた教育も異なる学生が共通の笑いにたどり着くまでには、誤解や意見の相違によるぎくしゃくや対立が複数回起こる。これを学びのターニングポイントととらえ、学生たちは互いの長所に目を向け、補完し合うことにメリットを見いだし真の協働に取り組みだす。こうした過程を経て、決められた期間内にグループとして成果を出すそうだ。グループ・ワークと並行して、言語・文化的背景の異なる他者と協働する中で直面した課題を分析し、どう克服し何を学んだかを具体例と共に報告する。参加した学生の評価は極めて高いという。「足して二で割る」的な似非協働ではなく、かなり深いレベルで対話が行われ合意形成、対立構造が高次元の総合が行われているのだろう。

同日の同紙では、国立大学法人法改正案に関する報道で大学関係者の「外部の意見を入れる場合、大学を知らない人だと何が何だか分からなくなるし・・・」という発言が引用されていた。ひと昔の前の社外取締役導入時の日本の大企業経営者の反応と相似形との印象を持った。今となっては言うことはおろか、思うことさえ許されないが、当時は「〇〇事業を知らない人に、事業上の意思決定ができるわけがない」という趣旨の発言が散見されていたものである。もっとも、株式会社の機関設計が現在で言う監査役設置会社ばかりだったので、業務執行の決定が取締役会で行われることが多かったという事情は斟酌しておく必要はあろう。それでも本音は、気心の知れた身内で上手くやっているのに、事情・背景も知らない部外者に引っ掻き回されてはたまらないという心情ではないか。この発想を大転換しなければならない。

その必要は大学や企業の運営だけには限らない。冒頭で触れた日本の同質性は高度成長のある時期までは強みを構成していたが、今後は多様性を育み、活かし、楽しむ社会に進化していかなければならない。「言わんでもわかってるだろ!」は通用せず、すべからく言語化して説明、議論、納得、統合していかなければならない。今、組織の指導的立場にある人はそういう風土で育ってこなかった。頭では分かっていても言葉の端々、表情、コミュニケーションの間に同質性前提の思考が見え隠れしかねない。だからこそ自らは言語化を、他社の発言に対しては受容・寛容性を強く意識するための鍛錬、「国際共修」が必要なのではないか。本稿のタイトルでは「ギスギスした」と表現したが、立場や意見の対立を超えた議論が常態化しても「ギスギスしない」組織風土、人間関係がゴールである。いやぁ~、昭和世代には難しい。

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