株主主権マーケットまで、あと「ほんの少し」

編集者の目2018年8月15日

野村證券金融経済研究所 所長 許斐 潤

古典的なクイズを1つ。ある池の蓮の葉は毎日面積が倍増するペースで成長するという。この蓮が、30日で池の表面全てを覆ってしまうとすると、何もなかった時から池の面積の半分を覆うのには、何日かかるか。――― 半分なら15日と考えてしまうかも知れないが、正解は29日。1日で倍になるのだから、29日目に全体の2分の1の面積を覆って、30日目で倍になって全体を覆ってしまう、ということである。もう少し屁理屈を言うと、230=1,073,741,824(約10.7億)を全体の池の面積だとする。すると、215=32,768だから半分の15日目では全体の0.0031%、2020=1,048,576なので20日目でも全体の0.098%の面積しか蓮の葉で覆われない。よほど注意力のある人でなければ蓮の葉の存在にさえ気づかないだろう。ちなみに、log2(10.7億×10%)=26.6なので、池全体の面積の10%を蓮の葉が覆うのは26日目と27日目の間のいつかということになる。27日目が終わる時には全体の12.5%を覆い、ここから残り3日で倍々ゲーム(25%→50%→100%)と、30日目に池全体が蓮の葉で覆われることになる。

さて、話は変わって日本企業、日本の株式市場に関する話題。海外の投資家から見ると、日本のコーポレート・ガバナンスの進化は2つの違った見え方をするようだ。日本株投資の経験の長い投資家から見ると、アベノミクスのガバナンス改革以来、一昔前では想像することすらできなかった大変な変化が起こっているという見方である。逆に、鳴り物入りの「コーポレート・ガバナンス改革」の割には変化が遅く、形の上では多少要件は整ってきたが、日本企業の経営原理の本質は殆ど変っていないか、変わっていたとしても認識できないほど遅い、という批判も耳にすることがある。日本企業の分析・評価に三十有余年携わってきた筆者の皮膚感覚は、明白に前者の立場に立つ。しかし、仮に後者の立場に立ったとしても、アベノミクスのガバナンス改革が始まってまだ5年である。コーポレート・ガバナンス改革が仮に10年の道のりだとすると、先の蓮の葉の例を援用して、25÷210=3.1%、半分の時間では全体の3.1%しか進行していないのである。現時点では、ほとんどの人が「あまり変わっていない」との印象を持ったとしても仕方があるまい。

ガバナンス改革に10年もかけるのか。米国企業も1960年代までは事実上終身雇用制で、多くの経営幹部は同じ会社に長く勤めていたという。しかし、1981年にGEのジャック・ウェルチが登場して大胆なリストラを敢行。さらに、1985年にロナルド・ペレルマンが化粧品メーカー・レブロンへ敵対的買収を仕掛けた際に、それまで大企業寄りだった名門投資銀行が資金調達を支援したことが、現在に至る「株主至上主義」の萌芽だったと言われる。それ以降、米国の企業経営者は株主代表訴訟のリスクにも晒されつつ、90年代後半までに現在の経営スタイルを定着させてきた。つまり、「株主主権」の大本尊である米国でも、旧い経営モデルからの完全移行には10~15年の時間を経ているのである。日本のコーポレート・ガバナンス改革の道のりを10年と見ても、長過ぎるということはなかろう。今は未だ目にも見えない変化が、将来の大変革を孕んでいると言っても差し支えない。

ロナルド・ペレルマンといえば、ホワイトナイトを使った買収防衛策を否認した判決を勝ち取り、後に「レブロン基準」と言われる標準を作った。翻って今年の3月期決算会社の株主総会で買収防衛策の見直し時期に当たった企業のうち、25社は総会に諮るまでもなく自ら防衛策を継続しなかった。防衛策の可否を総会に諮った76社では全件可決されたが、賛成比率は平均で77.9%にとどまった。平均以上に印象的だったのは、機関投資家保有比率が高い企業ほど、買収防衛策への賛成比率が低いという明確な関係が観察されたことである。機関投資家保有比率が25%を超えると賛成比率は55~60%の範囲に集中しており、防衛策の可決は薄氷を踏むが如しであった。冒頭の蓮の池のアナロジーで言えば、目に見えないレベルでも変化は着実に進行しており、ある日気がついたら残り2~3日で全体を覆ってしまう、ということも十分にあり得るのである。まして、防衛策否決までのマージンは機関投資家保有の多い会社ではもう僅か5~10%なのである。コーポレート・ガバナンス強化は早まりこそすれ、遅くなったり、まして止まったりすることはあるまい。我々は真の株主主権マーケットまで、あと「ほんの少し」の所まで来ているのだと言ってよさそうである。

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