成長戦略としてのESG

編集者の目2018年10月30日

野村證券金融経済研究所 所長 許斐 潤

以前、本欄でも触れたが、2006年に国連が「責任投資原則」(PRI)を提唱して以来、2014年に金融庁が「『責任ある機関投資家』の諸原則(日本版スチュアードシップコード)」を策定、2015年には東京証券取引所が「コーポレートガバナンス・コード」をまとめた。2017年にはスチュアードシップコードが、2018年にはコーポレートガバナンス・コードがそれぞれ改訂された。他方、2015年には国連が持続可能な開発目標(SDGs)を採択し、「我々は…地球を救う機会を持つ最後の世代になるかも知れない。」という切迫感と使命感を共有した、2030年までの国際社会全体の道標が示された。投資運用業界では元々ESG(環境・社会・企業統治)投資への傾斜を強めてきたが、一般にもこの半年ほどでESG/SDGsへの関心は驚くほど高くなってきた。ちなみに、過去半年の日本経済新聞朝刊でESGを記事検索すると370件ヒットした。つまり単純計算で1日2件は、何らかの関連する記事が掲載されているということである。

こうしたESG、責任投資などに対する高い関心の背景は何であろうか。私見も交えて、5点提示したい。

第1に、何と言っても気候変動が、経済・企業活動に甚大な影響を与えるようになってきたとの印象である。度重なる豪雨、強大化し頻度高く日本列島を襲う台風、この夏の猛暑と、このところの異常気象は枚挙に暇がない。その結果、直接の物理的・心理的損害に加えて生産設備の停止や、交通網の遮断によるサプライチェーンの寸断などが、経済や企業業績に大きなインパクトを持つようになってきた。ここ数年というような短期の現象と地球規模の気候変動の相関は科学的には明らかではない、という意見もあるようだが、「何かおかしい」というそこはかとない不安は、もはや、万人が分かち合っていると言って差し支えあるまい。

第2に、そうした共通認識を背景として、企業活動に対する規制が強化されてきている。中国の環境保護法改正に代表されるような直接の排出規制にとどまらず、米カリフォルニア州のZEV(ゼロエミッション車)規制、英仏のガソリン車販売禁止などが典型例である。

第3に、消費者態度である。日本では少子高齢化の進展もあり、ボリュームという観点では消費の主役が中高年~高齢者世代である状況は今後も変わりそうもないが、世界の潮流は違っている。国連の人口統計などによると、1980年代から2000年代初頭までに生まれたミレニアル世代は2015年の時点で世界人口の30%超に達しており、このままいくと2020年までには世界の労働人口の主力となるであろう。購買力で見てもベビーブーム世代を凌駕しよう。特に、中国・インドと言った新興国の多くは既にミレニアル世代の人口がベビーブーマーを超えており、先進国でもアメリカは両者の人口が拮抗している。ベビーブーマーは物量消費を謳歌したが、構造的低成長が常態化した今を生きるミレニアル世代は「モノを買わない」「環境を大切にする」「体験や健康を重視する」傾向にあるという(ミニマリストで、"The More of Less"などの著作で知られるジョシュア・ベッカー氏の分析)。この世代が消費の主役になれば、環境や社会と言った観点で共感性の高い製品・サービスが購入対象となるので、企業としてはそうした傾向を強めていかざるを得まい。結果としてESGに沿った製品・サービスが重視されるようになろう。

第4に、社会全体の持続可能性である。機関投資家が運用している受託資金の源泉は個人富裕層の資金を除けば、根源的には年金と保険である。ところで年金財政の危機は万国共有の課題であり、年金運営者は既存・潜在受益者の反発を探りながら給付支給開始年齢の繰り下げなどを検討しなければならない。逆に年金財政への貢献を増やすことも方策の一つではあり得ようが、保険料を引き上げるわけにはいかない。そこで、年金財政へ貢献する人数を増やすことが考えられる。つまり、高齢者や女性の労働参加の促進だが、そのためには環境・社会面で健康寿命を引き上げたり、女性がより働き甲斐をもって社会進出できる素地、多様な働き方を受け入れる働き方改革が必要となってくるのである。

第5が、全くの私見で恐らく議論を呼ぶところであり、多くの反論も予想されるが、企業経営のパラダイムが大きく転換した可能性である。従来の考え方では、企業は「自分が所属するサプライチェーンが生み出す価値のうち、なるべく多くを自社に取り込むことによって収益力を高め」ようとしてきたと言える。外部委託していたある機能を子会社化したり、自社グループ企業などに振り替えて「社外流出していた価値を取り込む」などというのはその典型的な施策であった。筆者が感じているパラダイム・シフトは、「サプライチェーン内での取り分の割合(%)を削ってでも、サプライチェーン自体を従来とは比べ物にならないくらいに拡大させて、結果として自社が訴求できる価値の総量を増やす」という考え方である。拡大させたサプライチェーンには、購買・物流・出荷・販売・サービスといった価値連鎖そのものには関係ないような環境改善、社会活動、地域貢献、その他第三者にとっての課題解決が含まれることになるかも知れない。結果として、そうした活動全般が直接、間接に「財務・非財務」的企業価値を高めると認められれば、社会(=市場)はそうした企業を前向きに評価するのではないか。

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