「資本主義の正当性」と「世の役に立つ会社」

    編集者の目2019年6月17日

    野村證券金融経済研究所 所長 許斐 潤

いささか旧聞に属するが、この4月下旬に英米を代表する経済二紙が、時を同じくしてアメリカ型の資本主義の正当性に関する記事を掲載していた(2019年4月 23日付 Financial Times(ヨーロッパ版)“Capitalism keeps CEOs awake at night”、及び2019年4月26日付け The Wall Street Journal “Capitalists worry about Capitalism’s future”)。どちらも記事でも大銀行の経営者や成功したヘッジファンドの創業者が、市場至上主義的な経済システムの結果としての看過できない所得格差を始めとして様々な社会問題が生じてきていることを指摘していた。そして、こうした問題への処方箋として高額所得者への課税強化を主張した。さらに、記事では幾人かの高名な企業経営者や資産家が個人として教育、職業訓練、住宅、インフラなどに関連する慈善事業に関与していることを紹介した。

ただ、これらの記事をよく読むと、資本主義の勝ち組が義憤にかられて半ば自己否定をしているだけではないことが分かる。根底では、格差拡大の政治的・経済的帰結が彼らのビジネスに良からぬ影響を及ぼしかねないことを強く懸念しているのである。第1に、政治が膠着してしまうリスクである。格差拡大は社会の党派的分裂を加速する。それが選挙を通じて議会に反映されると、議論の場で容赦ない対決色が前面に出て肝心なことを何も「決められない政治」に陥ってしまう恐れがある。第2に、社会主義的な考え方の台頭への懸念である。Financial Times の記事の中で紹介されている調査によると、若い米国人の間では社会主義に肯定的な見方をしている人の割合が資本主義を肯定的に捉えている人の割合を凌駕しているという。現に、米民主党の大統領候補者の中には「民主社会主義者」を自認し、大企業の解体や大幅な規制強化を主張している人がいる。第3に、1920~30年代の再来に対する恐怖である。債務の膨張、中央銀行の機能不全、不平等の拡大、ポピュリズムの隆興など、現在は90年前の大恐慌時代との類似点が多いという。こうして見ると、思想として資本主義の修正を唱えているというより、リスク・危機管理として先手を打っているという意味では理に適った言動とも言えよう。

翻って日本の現状を見ると、CEO(最高経営責任者)と一般社員の年収格差が300倍に開いている訳でもないし、社会主義の足音が聞こえる訳でもない。米欧を席巻するポピュリズムの勢いとも一線を画しているように思える。とは言っても対岸の火事では済まされぬ。アメリカで「何か」起これば日本も無傷ではいられない、という意味で他人事ではない、と考えることも出来よう。しかし、もう少し主体的な文脈でこの問題を捉えてみたい。そもそも日本は日本で、様々な社会的課題を抱えている。程度問題とはいえ日本にも格差はあるし、財政、年金・医療、健康・介護、地域創生、いじめ、労働環境など問題は山積している。こうした社会的課題の解決を政府やNPO(非営利団体)に任せて、企業は営利活動に奔走していればいいのであろうか。

企業の社会的責任を論じているのではない。株式会社は、リターンを期待する株主がいなければ存在できない。しかし、世の中の役に立たなければ存在する資格がない。「世の中の役に立つ」とは、その会社の製品・サービスを、提供するための費用を上回る価格をつけても、喜んで買ってくれる顧客がいるということである。そうであれば、その製品・サービスが、その価格で買ったとしても顧客にとって意味=価値があるということになる。そうした個別の取引を集合的に見れば、それらの顧客群=社会(の一部)にとって意味=価値があるということになり、それが「役に立つ」ということだからである。従って、循環的・摩擦的な理由でなく値下げしなければ売れないのであれば、その価格(あるいはその価格の前提となっている費用)では「役に立って」いないことになる。逆に言うと、「役に立っている」会社は利益を生んでいるはずである。つまり、本業で利益を生むのは世の中で必要とされている証である。人口が減少する段階に入った日本には投資機会が限られてくるという議論があるが、上記の社会的課題に加えてSDGs(持続可能な開発目標)も含めて考えれば、民間企業の工夫で事業化できる領域はまだ広がり得るのではないか。

時を経てある製品・サービスのライフサイクルが一巡した時に次世代事業が開発・用意されていればよいが、そうでなければ社会的使命を終えた企業がヒト・モノ・カネの貴重な資源を囲い込んで稼働させないのは社会的正義に反する。限られた資源は、常に「世の中の役に立つ」=「利益を生み出す」事業に投下されているべきである。市場は本来、そうした資源配分を効率的に行うための機構だが、特に日本では様々な事情で市場が円滑に機能していいないことがある。日本では「資本主義の正当性」の議論以前に、まず「資本主義が円滑に役割を果たす」ことを意識するべきではあるまいか。

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