日本企業とドイツ企業の受難

編集者の目2019年8月14日

野村證券金融経済研究所 所長 許斐 潤

ちょうど1年前の本欄で、池を覆う蓮の葉のメタファー(隠喩)を使って「株主主権マーケットまで、あと“ほんの少し”」と論じた。そう書いた本人が驚くほど今年の株主総会は「前進」した。株主提案を受けた企業は50社を超え過去最多となり、会社提案に対する反対票が2割を上回った企業数が300社以上、全体の15%に上ったという。1年前に言及した買収防衛策の更新議案の賛成比率は、今年も50~60%台にとどまる主要企業も相次いだ。さらに、アクティビスト投資家から取締役を受け入れたり、株主側が提案した取締役候補が会社側の提案した候補に勝り経営陣の交替となることまで起こった。役員報酬、政策保有株の開示、トップ選任、社外取締役、株主還元、運用会社の厳格な議決権行使基準・・・。この流れはもう止まらない。もちろん、まだ課題も多いが、日本企業のコーポレートガバナンスを巡る動きは、明らかに正しい方向に動き出していると言えよう。この路線を活かして、日本企業の「企業価値を創造」する力を強化していけば、日本株の魅力を再び世界にアピールすることが出来るだろう。

ところで、今年、株主総会の洗礼を浴びたのは日本企業だけではない。ヨーロッパを中心に気候変動問題に敏感な機関投資家グループが、ESG(環境・社会・ガバナンス)投資の観点から企業に容易ならざる課題をコミットさせることは日常化しているが、殊に、コーポレートガバナンスの問題で今年厳しく叩かれたのはドイツ企業であった。標的となったのは化学大手のバイエル。6兆円を上回る大型買収で獲得した米モンサント社製除草剤の発がん性を巡る訴訟によって、巨額賠償金のリスクを抱え込んで株価が急落。今年の株主総会では、独DAX指数採用銘柄のマネジメントとしては初となる「不信任決議」を突きつけられてしまった。従来、事を荒立てないと思われていたドイツの株主の反乱に、ドイツ企業の経営陣は少なからずショックを受けているという。これ以外にも業績不振で大規模リストラに追い込まれたドイツ銀行、2015年の排ガス規制不正からの立ち直りに苦闘するフォルクスワーゲン、不正会計疑惑に揺れた決済サービス大手のワイヤーカードなど、欧州最強の産業界が動揺している。

そもそも、ドイツのガバナンス改革は、日本のアベノミクスに先立つこと20余年前のシュレーダー政権時代からスタートした。まず、1990年代初頭から波状的に資本市場周りの制度整備が進められ、金融機関による事業会社の株式売却を促す税制上の措置などがとられた。さらに、2002年にドイツ版のコーポレートガバナンス・コードが導入された。これらの結果、それまでの金融機関が中心となってドイツの至宝とも言える企業群の株式を保有する構造から、外国人を中心とする機関投資家が主たる株主となる構造へ大きくシフトすることとなった。純投資目的の株主からの企業価値向上圧力を受けた企業のうち、シーメンス、ヘキストといった当時のドイツを代表する複合企業体が事業ポートフォリオを大胆に入れ替え、業績を向上させた。1990年当時1,400ポイント前後にあったDAX指数は2000年春に7,600ポイントに達し、米ネットバブル崩壊、リーマンショックの調整を経て2017年の高値では13,000ポイント超、現在も11,000~12,000ポイント付近にある。1990年からは8倍以上の伸びである。片や、TOPIX(東証株価指数)の現値は1990年末の85%程度の水準にとどまる。コーポレートガバナンス改革で先行したドイツ株の好パフォーマンスが際立つ形となっている。

ドイツのコーポレートガバナンスは、完全に「英米型」に移行したわけではない。業務執行を担うフォアシュタントと、フォアシュタントを監視するアウフリヒツラートの完全分離、アウフリヒツラートの半数を従業員代表から選出しなければならない共同決定制度、フォアシュタント経験者が一定の猶予期間の後にアウフリヒツラートに横滑りする慣行などはドイツ特有のもので、この結果、ドイツ企業の経営監視体制は多様性が不十分であるとの批判もある。なお、アウフリヒツラートは日本では監査役会と訳されるが、実態は日本で言う指名委員会等設置会社の取締役会に相当する。そうした一方で、この3~4年では、株主総会でのマネジメントへの反対票が契機となった経営者交代、アクティビスト投資家の活発化、その結果としての主要企業の企業分割など、「英米型」企業統治のような出来事も数多く発生している。先に述べたバイエルのケースなどはその最たるものである。こうしたプロセスを経て、シーメンスのような先行した優良企業に続く企業群が出現し、ドイツ産業界は一層強くなってゆくものと思われる。

日本のコーポレートガバナンス改革は上々のスタートを切った。今後は、こうして始まった改革に魂を入れる位相、出遅れたグループが先行者に追いつく局面に入る。その過程では、日本企業はドイツ企業が経験したような重圧を受けることもあろう。しかし、そうした重圧こそ、(海外)投資家、市場の期待を体現したものと受け取って構造改革に勤しむべきである。厳しく当たるまでもない、と思われてしまったら、投資家は日本を通り過ぎて、伸び盛りで意欲が高く、資本の規律を受け入れる準備もあるアジア企業へ流れて行ってしまうだろう。

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