ラグビーW杯に見る統一された戦闘ドクトリンの重要性

編集者の目2019年10月11日

野村證券金融経済研究所 所長 許斐 潤

ラグビーワールドカップ2019日本大会®が盛り上がっている。もとより、夏季オリンピック、サッカーのFIFAワールドカップに次ぐ、世界三大スポーツイベントということであるが、何より開催国である日本代表チームの躍進が全員参加の熱気を支えている。実は、ラグビー日本代表は今回の日本大会や前回の英国大会で南アフリカ代表を倒したずっと以前にも世界を驚かしたことがあった。古くは1968年のニュージーランド遠征で大西鐡之祐監督が率いる日本代表が、オールブラックスジュニアを撃破する大金星を挙げた。1971年に来日したイングランド代表とも大接戦を演じ、3-6で惜敗したが日本ラグビーは世界に迫ったとの評価を得た。当時の日本のラグビーが世界から尊敬されたのは、強豪と互角以上に渡り合ったという結果もさることながら、日本人の敏捷性、忍耐力、持久力を活かした独自の戦法を編み出し、それを実戦で貫徹した姿にある。いわば、世界の強豪と異なる戦闘ドクトリンの統一と実践である。この時期の日本代表を支えた原理は、大西監督が生み出した「接近・展開・連続」であった。その後、残念ながら、「あと、日本ラグビーが世界に劣るのは体格だけ」という誤った認識の下で外国人選手の起用や徒な選手の大型化に走り、柱となる戦闘ドクトリンを開発できなかった日本ラグビーは90年~2000年代の停滞期に入る。日本ラグビーの新たな夜明けを主導したのが、前エディー・ジョーンズHC(ヘッドコーチ)が持ち込んだ戦闘ドクトリンである「シェイプ」であり、それを継いだ現ジェイミー・ジョセフHCの「ポッド」であった。当欄はラグビー技術の解説が目的ではないので詳しい内容は他に譲るが、「俺たちは、これで勝つんだ!」という信念を共有・徹底することが、見るものを納得させるチームの勢いを生み、結果もついてくるということなのだろう。

さて、去る8月に、米国の主要企業の経営者団体であるビジネス・ラウンドテーブルは、株主第一主義を見直し、従業員や地域社会などの利益を尊重する事業運営を行うと宣言したことが波紋を呼んでいる。折から環境や社会にも配慮した企業運営が求められる中では当然という受け止め方もあろうし、やっとコーポレートガバナンス革命が緒についたばかりの日本の資本市場発展に水を差すという捉え方もあろう。筆者個人的には、経営者は法律で株主から選ばれるのであり、よしんばステークホルダー重視の経営姿勢そのものが真実を含んでいるとしても、それを言い出すのは株主であるべき経営者ではないはず、であるとは思うのだが…

ここで取り上げたいのは、主義主張の論争ではない。上の議論では、「株主第一主義」と「ステークホルダー重視」はお互いに相容れない二律背反的な概念かのように捉えられているが、果たしてそうだろうか。標準的なコーポレート・ファイナンスの理論によれば、企業価値とは(1)将来に亙る、(2)キャッシュフローの、(3)現在価値と定義される。一般に株主第一主義とは、(2)のキャッシュフローを利益と読み替えて、何が何でも利益を最優先する経営姿勢と考えられがちである。しかし、本質的な株主第一主義が目指すのはあくまでも企業価値の創出であり、(1)(2)(3)すべてが重要である。横軸に時間、縦軸にキャッシュフロー(利益)額をとった棒グラフを考えたとき、(2)が見ているのは棒の「高さ」だけである。しかし、企業価値は(1)×(2)、つまり棒グラフ全体の「面積」である。従業員、取引先、地域社会、環境、などを犠牲にしてある時点の棒の高さだけを高くしようとすれば、できないことはなかろうが、それでは長期的な企業の存立基盤に支障が生じる。従って、株主第一(=企業価値創出)経営は必然的にステークホルダー重視経営なのである。

ここで、ある時点の(2)キャッシュフロー額は誰の目にも明らかであるが、それが(1)将来どうなるかは不確実だし、分からないことも多い。だから、企業は戦闘ドクトリンを市場に明確かつ説得力をもって示し、「俺たちは、これで勝つ」という強い信念を株主・投資家に示さなければならない。企業の戦闘ドクトリンとは企業理念、ビジネスモデル、経営戦略に当たる。ここが曖昧だったり、独り善がりなものであっては市場からの信認は得られない。さらに言えば、利益×時間で示された「面積」の現在価値に意味があるのだから、現在価値に引き直すための割引率=資本コストも併せて重要になってくる。資本コストはごく簡略的に言えば、「一般的な資金調達コスト+リスク要因」だから、企業が打ち出す戦闘ドクトリンの確からしさや予見可能性が高まれば、株主・投資家から見たリスクは抑えられ、キャッシュフローの現在価値は大きくなる。つまり、企業価値拡大のためには、(2)キャッシュフローを大きくすることも重要だか、勝利を呼ぶ(1)将来に向けての企業の戦闘ドクトリンが明確かつ説得力があって、(3)不透明要素が少ないということもとても大事になってくるのである。

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