日本企業の価格付け
-改善の条件と立役者-

編集者の目2019年12月18日

野村證券金融経済研究所 所長 許斐 潤

この12月10日から12日にかけて日本経済新聞1面に掲載された「安いニッポン」という連載記事を、個人的には非常に秀逸な企画だったと評価した。筆者はかなり以前から、日本企業の低すぎる価格付け=(金額で測った)低生産性=低利益率はすべて同根だと考えていたからである。生産性という観点では、公益財団法人 日本生産性本部は毎年12月20日前後に「労働生産性の国際比較」という資料を公表している。2019年版もあと数日で公表されるであろうが、2018年版では、OECD(経済協力開発機構)データに基づく日本の時間当たり労働生産性はOECD加盟36カ国中20位、主要先進7カ国でみるとデータが取得可能な1970年以降、48年連続最下位の状況にあるという。

筆者が上述の考えに至った発端は、遡ること約30年前、筆者がドイツに赴任した時であった。当時の日本は年間実労働時間が2,100時間を超え、かつ年間10兆円近い貿易黒字を計上していたため、同1,500~1,800時間の欧米各国から「日本人は働きすぎ」で「赤字を輸出している」との批判を受けていた。そこで1988年に日本政府は「世界とともに生きる日本-経済運営五カ年計画」を策定し、一人当たりの年間労働時間を1,800時間程度とする目標を定めた。こうした中で、高い生産性と短い労働時間とを両立させていたドイツ転勤となり、入社6年目の駆け出しのリサーチャーだった筆者は「ドイツ経済、企業運営の秘密を解き明かしてやろう」という意欲に燃えていた。ところが、筆者が現地で目の当たりにしたのは「生産性大国」とは思えない(当時の日本人の基準からみて)怠惰で自己主張が強いだけの労働者であった。時をほぼ同じくしてベストセラーとなった、米MITのJ・ウォマック、D・ルース、英サセックス大学のD・ジョーンズによる「リーン生産方式が、世界の自動車産業をこう変える」[1991、(株)経済界]によると、高級車組立工場における生産性(1台当たり組み立て時間)は日本が16.9時間、アメリカが33.3~37.6時間に対して、ヨーロッパは37.3~110.7時間とされていた。IMVP(国際自動車研究プログラム)による後継調査によれば、2000年までのヨーロッパ・メーカーの生産性改善は著しかったが、それでも2000年時点で日本メーカーの生産性の高さは際立っていた。製造業だけではない。サービス業でも、例えば日本の店舗で受ける気の利いた丁寧な仕事ぶりに対して、海外で経験した心配りの至らない雑な接客が「生産性が高い」とはとても言える代物ではなかった。

しかし、統計では「48年連続(おそらく今年版も含めて49年連続)最下位」なのである。このギャップは価格だろう。5倍の手間をかけて作った車も10倍の値段で売れるなら、金額で測った生産性は2倍である。心のこもった「おもてなし」もサービス=無料(日本語でサービスするというのは、ただという意味)なら、生産性の比較すらできない。もちろん、新しいテクノロジーの導入でさらに改善できることもあろうし、ホワイトカラーの働き方のなど見直す余地の大きい分野もある。しかし、問題の核心は価格だと思う。

どうして、日本企業は価格付けができないのだろう。以下は、科学的な検証のされていない、全くの私見である。第一に、企業経営者にはどうしようもないことだが、OECDに指摘されているように「日本は正社員の解雇規制が最も厳しい国の一つである」(OECD Economic Surveys Japan, 2006)。従業員数が柔軟に変更できなければ、人件費をカバーするための売上高確保が何よりも重要となる。そこで採算を度外視した売上重視、単価を下げてでも量を捌いて絶対額を確保するという行動に出ざるを得ない。第二に、旧財閥系列のワンセット主義(同系列内に一揃いの産業を持とうとする傾向)に端を発すると思われる同質競争気質。最近の〇〇ペイの乱立の例を挙げるまでもないかも知れないが、品質・性能や生存領域のユニークさなどで競えなければ価格で勝負するしかない。第三に、これは異論のあるところだろうが、日本人の「心の安寧」モデルともいうべき、競争回避的な傾向である。上場/昇格/入学ゴールなどと言われるように、いったん上場/昇格/入学してしまえば、任期中によほどの大穴でも開けない限り、その地位にとどまるための資格要件が厳しく問われることはまずない。大穴を開けないための最も省力化された戦略は「ノープレイ、ノーエラー」である。敢えて難しいこと(価格引上げを正当化するような付加価値の向上)に挑戦しなければ、失敗してせっかく獲得した地位を危うくすることはない。

解雇規制については政治家に腹をくくって貰うしかない。同質競争の打破はアナリストの仕事である。企業の戦略を厳しく吟味し、その妥当性を問うことや企業価値への翻訳過程で評価を下さなければならない。「心の安寧」モデルの突破は取締役会の役割に期待したい。アナリストでは戦略の決定過程での経営陣の葛藤や心情は分からないから、社外取締役を中心とした取締役会が、経営陣を不断の挑戦に駆り立てるように監視・指導・叱咤して貰いたい。こうした条件が揃ったとき、日本企業の価格付けポリシーが改善し、生産性、利益率、結果として企業価値が向上するはずである。

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