デジタル時代の新教義

編集者の目2020年2月14日

野村證券金融経済研究所 所長 許斐 潤

1月30日付の英Financial Times(以下FT)紙によると、米アップル1社の株式時価総額がドイツを代表する株式指標であるDAX指数を構成する30銘柄合計の時価総額を凌駕したという。FTの記事は、上述の事実をアップルの躍進とドイツ企業の停滞を象徴する事象として、ドイツ産業界や政府が衝撃を持って受け止めているというストーリー展開になっている。曰く、ドイツの強みは20世紀型(工業化)産業の要であった高品質量産技術とエンジニアリング力に裏打ちされていたが、21世紀型(情報化)産業はソフトウェアとデータが基礎となっており、ドイツ産業界は完全にその流れに乗り遅れた。さらに、そうした技術要素だけにとどまらず、米IT(情報技術)大手主導でビジネスの進め方そのものが変わってしまった、との独メルケル首相とのインタビュー記事の内容を紹介している。すなわち、従来のような「製品の販売」では売ってしまえば顧客との関係は途切れるが、IT大手はデータを吸い上げたり継続的なサービスを提供したりすることで、毎日、場合によっては毎時間、顧客と関係を持ち続けている。この同じ土俵に上がらなければドイツ産業界は、単なる作業台(大きな商流の中で製品製造というごく一部分を担う矮小化された存在)として取り残されてしまう、という危機感を募らせている。

ここのところ、ダイムラーベンツ、バイエル、ドイツ銀行などドイツを代表する企業の窮状を伝える報道は多い。一つには過去10~20年で中国市場への依存度を高めてきたことの反動という側面があろう。他方で大胆な事業ポートフォリオの入れ替えや大型M&A(合併・買収)、将来技術への大胆なR&D(研究開発)投資などで敢えてもがき苦しんでいるという側面もある。ドイツでは企業にも政府にも、短中期の利益を犠牲にしてでも長期的なあるべき姿に向かって自己変革を断行する決意が感じられる。フォルクスワーゲンのダイスCEOは、今年年頭のスピーチで「聖なる牛を殺す」覚悟で構造改革を実現すると述べた。また、ドイツ政府は原子力発電に加えて石炭火力発電からの撤退も決定し、そのために巨額の補償金の支出を決定した。ところで自動車、機械、化学…など、ドイツの強みは我が国の強みにぴったり重なる。米IT大手が現実のビジネスでも株式市場での評価でも圧倒的大きく成長しているのに対して、存在感が薄れていっているのはドイツ企業だけではない。我が国の産業界や日本政府は、ドイツのように目先のことはかなぐり捨てる覚悟の構造改革に取り組んでいるだろうか。

ところで、工業化時代の経営管理者のマントラにPDCAサイクル、つまりPlan(計画)、Do(実行)、Check(評価)、Act(改善)がある。市場の変化が緩やかで課題が明らかなプロセスでは有効な管理手法である。しかし、上述のような事情はPDCAを回している余裕は、もはやなくなっていることを示している。それどころか、(特に日本の場合は)後段のCAのプロセスが活かされず、最初のPが金科玉条となって全工程を縛るので、品質偽装などの不正の温床になりかねない。イラクで米軍の統合特殊作戦コマンド司令官を務めたS・マクリスタルは、その著書「Team of Teams」[2015, Portfolio]で、統制のとれた軍隊ではないアルカイダなどのテロ組織との戦いにおける意思決定プロセスとして、OODAループ、O(監視)、O(判断)、D(決定)、A(評価)を挙げている。OODAループそのものは朝鮮戦争当時の米空軍で航空戦に臨むパイロットの意思決定をモデル化したものである。さらに今日では、変化の激しいビジネスシーンにおいてPDCAに代わる意思決定モデルとして取沙汰されることも多い。さらに、OODAでも悠長に過ぎるという説もある - ナポレオン語録には On s'engage et puis vois.(まず突撃して、それから見るのだ)とある。

株価に戻ると、冒頭述べた苦境にも拘わらずDAX指数はこの2月12日に13,758ポイントの史上最高値を付けた。1990年末値1,398ポイントからは10倍近い上昇となっている。他方、我が国の東証株価指数は今年の高値が1月20日の1,745ポイントだった。90年末の1,733ポイントより僅かに0.7%高いだけである。アベノミクスの大功績であるコーポレート・ガバナンス改革は緒についたとは言え、日本株が世界の投資家の注目を集めるには、企業も政府も短中期の利益や既得権益には目もくれず、全く新しい行動原理に基づくなりふり構わぬ構造改革への意欲を表明することから始めなければならないのではないか。

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