コロナウイルス危機が顕在化させたCATボンドの課題と可能性

編集者の目2020年3月31日

野村資本市場研究所 執行役員 関 雄太

2020年3月11日、世界保健機関(WHO)のテドロス・アダノム・ゲブレイエスス事務局長は、新型コロナウイルスによる肺炎の感染拡大について、「パンデミック(世界的な大流行)と呼べる状態だ」と表明、2009年のH1N1型インフルエンザ流行以来となるパンデミック宣言を出した。

この宣言を受け、世界銀行が2017年に発行した「パンデミック・ボンド」の元本を棄損させる条件(トリガー)が発動されるかどうかに、注目が集まっている。パンデミック・ボンドとは、CATボンド(Catastrophe Bond、大災害債)の一種で、感染症が流行した際に元本を取り崩し、緊急対策支援に振り向けるという仕組みで発行される債券である。世銀は、2014年のエボラ出血熱流行の経験を受け、感染症危機に直面した低所得国に迅速に資金を提供するために「パンデミック緊急金融ファシリティ(Pandemic Emergency Financing Facility:PEF)」を設立し、2つのトランシェから成る債券(合計3.2億ドル)を発行した。これが世界初のパンデミック・ボンドで、日本の財務省も保険料を拠出するなど、PEF構築には相当の協力を行っている。

ところが、当該債券のトリガーには、(1)流行発生から84日経過、(2)死者数250人以上、(3)発生国とは別の国で20名以上の死者が発生、(4)流行の地理的範囲など、複雑な要件が付与されており、正式にトリガーが認定されPEFが新型コロナウイルス対策を講じる新興国に対して資金を支出できる状態になるのが2020年4月中旬頃と見込まれている。

上記の経緯は、CATボンドが持つ課題を改めて認識させるケーススタディを提供している。最大の課題は、イベント・トリガーの設計であろう。世銀パンデミック・ボンドにおいては、感染症による死者数など客観的・科学的なデータ・観測値を基準とする「パラメトリック方式」と、複数の事由発生によってトリガーが有効となる「マルチ・トリガー方式」が採用されたが、トリガーを複雑に設計しすぎると想定外の災害発生によりトリガーが起動せず、発行体に保険効果をもたらさないことになる。実際、2011年の東日本大震災の際、当時オリエンタルランドなどが発行していたCATボンドでは、関東圏を震源地と設定したものが多く、トリガーが発動しなかった。一方で、CATボンドの投資家から見ると、災害の脅威や影響に関する知識や予測可能性を十分に持たないなかで債券の投資判断をするには、なるべく客観的な条件を示して欲しいというニーズがある。

また、CATボンドの損益は、理論的には金融市場全体の動きとは関係なく定まるため、他の証券との価格相関性は低いはずである。しかし、CATボンドの元本が毀損するような大災害時には、株価が下落したり、企業の資金繰りリスクが高まることもあり得るわけで、今回はまさにそうした極端な相関の高まりがグローバルに発生してしまっている。

こうした課題から、CATボンドの設計の難しさあるいは制度的限界を指摘することは容易であろう。しかし、感染症に限らず、地震・津波や、気候変動の影響も大きい台風・ハリケーン、洪水、山火事など自然災害の頻度・規模が増え、インフラや経済活動が受ける損害リスクは年々巨大化しているなかで、こうした災害リスクを引き受ける保険業界やソブリン財政のキャパシティには限界が生じており、何らかの代替的なリスク移転手法が必要であることは間違いない。本稿執筆時点で批判を受けている世銀パンデミック・ボンドにしても、支援対象国に含まれている南半球の低所得国で新型コロナウイルスの流行が拡大する頃には、支援金が拠出されて医療体制の強化に貢献し、多くの生命を救う結果になるかも知れない。また、世界的に低金利環境が改めて顕在化するなかで、プレミアムが調整されやすい証券市場のメカニズムを活用することは、運用機会の提供や保険価格の安定化といったメリットを金融業界全体にもたらす可能性もある。

究極的には、人知を超えた大災害の発生という不確実性を乗り越えるための知恵が金融市場関係者にも求められているといえるのだろう。感染症について言えば、今後はなるべく早期に、流行地域が狭い段階で資金を振り向けて影響を最小化する仕組み、あるいは検査キット生産やワクチン開発など感染拡大への備え(Preparedness)を高めるための仕組みと、そうしたファシリティに対する資本市場を活用した調達手法が開発される必要がある。グローバル規模で官民関係者の議論が進展することを期待したい。

[参考文献]
  • ・井上武「大規模災害の増加と拡大する保険リンク証券-日本での活用可能性」『野村資本市場クォータリー』2014年夏号
  • ・大本隆「震災とカタストロフ・ボンド(CAT債)市場」『財界観測』2011年7月号 など

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