50年変わらなかったものを、あと10年で変える

編集者の目2021年4月6日

野村證券金融経済研究所 所長 許斐 潤

「政府は…補正予算で、多くの救済策を決め、…万全を期す予定だった。…たとえば、中小・零細企業に救済のための緊急融資を行うことにしていたが、その内容と手続きが、あまりに細かく複雑だった。緊急融資には…『小規模企業特別融資』など七種類もの区別があり、そのそれぞれについて複雑な手続きと多数の添付書類が要求された。」「失業対策もそうだった。…特別給付金として給付することにしたが、…これらの人々の認定と従来所得の確認は著しく難しかった。」「観光地は客がなく、半分以上の観光ホテル・旅館が完全休業状態に陥っている。」

これらの記述は、新型コロナ禍で混乱する現在の日本のことではない。1975年に刊行された堺屋太一の「油断!」からの一部抜粋である※1。中東紛争を発端に石油輸入が途絶えるという、世界最初の予測小説と言われている。1973年に本当の石油危機が勃発して出版が延期されたそうだが、作者による解説に依れば本作の構想は1970年前後からあったそうで、その意味では50年前の創作物ということになる。驚かされるのは、50年前にまるで今のことのような臨場感をもって描かれていることだが、逆に言えば日本は50年前から何も変わっていないということである。我々はこんな日本を、今から長くかかったとしてもあと10年、2030年までを目安に抜本的に変えなければならない。というのは、2030年はSDGs(持続可能な開発目標)の達成期限であるし、小泉環境大臣は2020年12月の記者会見における質疑応答の中で、再エネ主力電源化という文脈で「この10年が勝負だ」と発言していた。

我々が直面している重要課題は気候変動だけではない。貿易摩擦に端を発しながら技術覇権闘争・安全保障・人権問題を経て、西側自由陣営を巻き込む体制選択の問題に変容した米中対立。デジタル敗戦。コーポレート・ガバナンス改革が端緒についたとはいえ、欧米やアジアの主要企業に見劣りする日本企業の収益性。人口は少子・高齢化し、企業・産業構造は少産・少死化して進まない新陳代謝。多様性・包摂性に不寛容なインシュラリズム。戦後70年の復興・高度成長、技術大国化、成熟した経済大国化を支えてきた世界システム、日本社会の構造が全て逆回転した。それに対応して政府は「グリーン成長戦略」をはじめ多様な打ち手を繰り出しているし、先進的な経営戦略がすでに成果を生んでいる企業もある。しかし、日本全体で構造改革への心構えはどうだろうか。普通に考えれば、これまで50年変わらなかったものはこれから50年も変わらない。世界やアジアの中での主導的立場にある国として、そして我々自身の未来を切り拓くために、これからは「これまでとは全然違うのだ」ということを示さなければならない。

「油断!」では石油が輸入できないという未曽有の供給制約に対して、一部の政府部局が国民生活に負担をかけることになり兼ねない全面的な需要抑制策を講じようとする場面がある。その際、「…国会議員、地方自治体、各種団体、産業界、そして一般市民からの抗議が殺到した。霞が関にいくつかの抗議デモと陳情団が現れた。…驚くべき勢いで増え、官庁街を包み込んだ。」「日本の『世論』は、明日の重病よりも今現在の痒みに耐えかねる幼児のように、泣き叫んだ。」という叙述も出てくる。現在の日本で「構造改革大反対」の大合唱が起こっているわけではないし、上述の世界情勢、社会問題をフェイク・ニュースだと切り捨てる人は日本にはいないだろう。しかし、国全体の電力供給の在り方そのものや会社の形すらも変えてしまうような改革を宣言している欧米の政治リーダーや企業経営者に比べて、日本の変革への取り組みはどこか漸進主義、現実とのバランス論、総論賛成・各論反対のようなニュアンスを感じる。2021年3月19日付のWall Street Journal紙は、声高に電動化への転換を宣言した自動車メーカーの株価パフォーマンスが、現実路線を採る会社を大きく上回っているという分析を披露していた(EV push fuels shares of legacy car makers)。株式市場は、変化への決意を嗅ぎ取っている可能性がある。

ここでは日本の政治家や企業経営者を批判しているのではない。むしろ、我々自身の覚悟を問うている。変革の責任を負うリーダーを逡巡させているのは、最終的な主権者である有権者、消費者、株主、つまり一般市民である我々が腹をくくり切れていないからではないだろうか。大きな問題への対応は誰か偉い人が考えてくれて、変革の短期的なマイナス影響が自分の身の回りに降りかかってきそうになったら反対の声を上げる、という態度は今我々が直面している問題に照らして著しく不適切と思われる。ESG(環境・社会・ガバナンス)やSDGsの文脈で語られることの多いバックキャスティングというのは、「…これまで社会常識や目の前の現実を優先して諦めていたことを、もう諦めない、ということ」である※2。そうでないと、世界の潮流から取り残され、欧米主要国はおろかネット活用や社会の多様性の観点で躍進するアジア新興国の後塵を拝することにもなり兼ねない。今は多少の不便や痛みには目をつぶって、清水の舞台から飛び降りようとするリーダーの背中を皆で押すべき局面だ。ことの成否が決するまで、あと10年しかない!

1 堺屋太一 「油断!」 「堺屋太一著作集第1巻」[2016] 東京書籍収載

2 南博、稲葉雅紀 「SDGs-基金時代の羅針盤」[2020] 岩波書店

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