頑張ろう中間管理職

編集者の目2021年6月4日

野村證券金融経済研究所 所長 許斐 潤

米国のインテル社というと、最近でこそ半導体製造における微細化技術で台湾のTSMCや韓国のサムスン電子に後れを取ったとの印象が強いが、遡ってみると現代経営戦略論の宝庫のような存在だ。例えば、1)PCの黎明期にマイクロプロセッサで事実上の業界標準を確立したこと、2)資本財メーカーでありながら「インテル・インサイド」の消費財的なキャンペーンで市場地位を盤石としたこと、3)訴訟を軸にした知的財産権保護、4)PCの主力がデスクトップからノートブックに切り替わるタイミングでクロック周波数競争から脱却して、デザインや消費電力などが新たなコンピューティング体験の決め手になると見切った先見性など、経営の観点からの革新的な振る舞いは枚挙に暇がない。中でも特筆されるべきは、80年代の半ばにメモリ事業からマイクロプロセッサに事業の主力をシフトしたことである。これは、米国企業の経営戦略市場でも屈指の大決断であったと言っても差し支えなかろう。元々インテルは、60年代にコンピュータの記憶装置の主力だった磁気コアメモリを、半導体メモリに置き換えるという野心をもって創設されたので、メモリ事業はいわば同社の「祖業」であった。後に同社の最高経営責任者となるアンドリュー・S・グローブ氏の著書「インテル戦略転換」([1997]、七賢出版、原題 Only the Paranoid Survive)では、第5章で「われわれの手でやろうではないか?」と題して、メモリ事業からの撤退とマイクロプロセッサへの事業転換の顛末を描写している。80年代前半にインテルのメモリ事業は、日本企業の技術力と資金力に圧倒されて窮地に立たされていた。当時の会長兼最高経営責任者のゴードン・ムーア氏が撤退を逡巡する中、グローブ氏が1985年の半ばに「気持ちを切り換えて、われわれの手でやろうじゃないか」と背中を押したと記されている。

ところが、インテル日本法人の会計マネジャーから米国本社のモバイル・プラットフォームズ事業部のコントローラーに転じた石橋善一郎氏のプレゼンテーションによると、既に1984年時点で同社の8工場(当時)のうちDRAM製造に振り分けられていたのは、オレゴン工場1つのみだったという。つまり、経営トップの決断のはるか以前から、下位のマネジャーたちが市場の実勢に合わせて貴重な生産能力を調整していたのである。この事情については、グローブ氏の前掲書でも実はきちんと触れられている。曰く、「組織の底辺を支える社員たちは、戦略転換を実行する準備をしていたのだ。(略)中間管理職の小さな決断が、拡大するマイクロプロセッサ事業に生産資源をより多く投入していたのだ。」

経営戦略論ではいくつかの観点で経営戦略の類型を分類するのが一般的である。中にはミンツバーグのように10分類と細分化している例もあるが(戦略サファリ)、筆者にとって分かりやすいのは、何を競争力の源泉とするかという観点から「ポジショニング学派」対「リソース・ベースト・ビュー(資源学派)」という対比、誰が考えるのかという観点から「戦略計画学派(プランニング学派)」対「創発戦略学派」という対比である。このうち創発戦略学派によると、経営戦略とは経営トップがトップダウンで組織に与えるものではなく、市場・顧客の最前線に位置する中間管理職が日々環境に適応しながら、結果的に形成される企業行動のパターンだということになる。有名な例は、1960年代に中大型二輪車で米国市場に乗り込んだホンダの社員が自分たちの移動用に利用していた排気量50CCのスーパーカブが意図せず人気となり事業化して成功したというものだ。あるいは、米スリーエム社の技術者が開発した不織布は絶縁テープの材料、レンズ拭き、装飾用リボン、使い捨てのブラジャーなど用途開発で紆余曲折を経て、開発から20年後に医療用マスク(新型コロナ対策の最重要資材の一つであるN95)や台所用のナイロンたわしとして開花した。殊に日本企業では、何らかの技術シーズを現場担当者が苦労に苦労を重ねて何とか製品として陽の目を見、時間をかけて成功したという例が多い。内橋克人の「匠の時代」([1982]、講談社文庫)や山根一眞の「メタルカラーの時代」([1993]、小学館)はそうした事例のオンパレードで、筆者も駆け出しのアナリストだった頃にむさぼり読んだものである。

ミンツバーグは「MBAが会社を滅ぼす~マネジャーの正しい育て方」([2006]、日経BP)、「マネジャーの実像『管理職』はなぜ仕事に追われているのか」([2011]、日経BP)など、経営学の本流に対して挑戦的な論陣を張っているが、一貫して実務重視で企業活動におけるマネジャーの重要性を強調している。現実に立ち返ると、欧米ではワクチン接種が進み経済再開の期待が高まり、我が国でも周回遅れながら何とか回復の目途が立ってきたところである。その先は新型コロナ後の新現実、グリーン、デジタルと、これからの10年は過去30年の蓄積が全否定されかねない大激震が控えている。誰も予想がつかない大波を乗り切るのに、現場の最前線で揺れ動く市場、顧客、技術を知り尽くした中間管理職の大活躍が期待されるのである。

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