カーボンプライシングへの市場メカニズム導入と森林投資

編集者の目2021年11月1日

野村資本市場研究所 常務 関 雄太

2021年4月に開催された米国主催の気候サミットにおいて、菅義偉総理大臣は日本の温室効果ガスの2013年度からの46%削減を目標とするとともに、さらに50%の高みに向け挑戦する決意を表明した。このコミットメントが、パリ協定後に日本政府が国際連合に提出した削減目標の2013年度比26%減から大幅な引き上げとなったことなどを背景に、脱炭素化の加速とカーボンプライシング(炭素への価格付け:主たる手法として炭素税と排出権取引制度がある)に関する議論が活発化している。

なかでも、炭素税に比べ高い削減効果が期待される排出権取引に注目が集まりつつある。欧州では排出権取引制度(EU ETS: Emission Trading System)が15年の歴史を持っており、バークレイズなど大手金融機関が排出権取引ビジネスに取り組む動きもある。中国でも今年、全国レベルでの排出権取引制度が創設され、上海環境エネルギー取引所において取引が開始されるなど、海外では排出権の「市場化」「金融ビジネス化」が進んでいるにも関わらず、日本ではごく一部の自治体で限定的な排出権取引が導入されているに過ぎない。

こうした状況の中、政府は2021年6月の成長戦略実行計画で「カーボンプライシングなどの市場メカニズムを用いる経済的手法は躊躇なく取り組む」「国際的に民間主導でのクレジット売買市場の拡大の動きが加速化していることも踏まえ、我が国における炭素削減価値が取引できる市場(クレジット市場)の厚みが増す具体策を講じる」など、市場化に向けた強い意欲を示した。

上記のように「市場メカニズム」導入あるいはクレジット「市場」形成への期待は大きい一方で、排出権(または排出枠)には独特な性質があり、証券市場で行われるような取引をイメージすること自体難しい。例えば、(1)相対取引が基本であること、(2)(いわゆるボランタリークレジットを除けば)取引単位の設定・価格付け手法など条件すべてが制度・規制に左右されること、(3)クレジットの購入者(買い手)は実需層に限定される可能性があり、投資リターンもしくは裁定利益を目的とした投資家の参入は期待されていないこと、(4)クレジットの創出者(売り手)が国内に多く見当たらないことなどである。特に(4)は、排出枠の設定水準によっては市場参加者のすべてが買い手になってしまうため、取引所や仲介業者にとって致命的に事業化を難しくする要因と言える。

したがって、日本で排出権取引市場を本格的に整備するには、現在、東京都・埼玉県で実施されている制度を全国に拡大するだけでなく、海外で創出されたクレジットも取引できるようにする必要性があろう。さらには、国内の排出権クレジット創出活性化につながるプレイヤーの育成もしくは仕組みの構築が必須と考えられる。

そこで参考になると思われるのが、米欧で定着している森林投資ファンド・森林REIT(不動産投資信託)である。森林投資ファンドは、TIMO(Timberland Investment Management Organization)と呼ばれる運用会社がファンド資金を背景に森林を売買・保有・経営し、運用期間中は伐採・再生産によりキャッシュフローを獲得するというストラクチャーを採る。森林REITは、TIMOが上場REITとなり満期のないファンドを運用していると考えると理解しやすい。かつて多くの森林を保有していた鉄道会社や紙パルプ業者が資産をオフバランスする形で始まり、リアルアセット投資の潮流に支えられて投資家のすそ野が広がった経緯なども私募不動産ファンドやREITの発展と軌を一にしている。

森林投資は、最近では違った側面からも注目されている。例えば、カリフォルニア州などの排出権取引制度を背景にした、森林を伐採しないことによるキャッシュフロー獲得、つまりカーボンクレジットの売り手としての期待である。また今年、アップル、コンサベーション・インターナショナル、ゴールドマン・サックスが運用開始した森林再生ファンドも経済的リターンを目指すとしており、二酸化炭素の吸着・貯蔵や木材繊維の生産などから何らかのキャッシュフロー獲得を目指すのではないかと考えられる。伐採しない森林といっても、適度な間伐などの管理が必要であり、その専門家としてのTIMOに注目が集まる可能性もある。2021年6月にJ.P.モルガン・アセット・マネジメントが有力TIMOキャンベル・グローバルの買収を発表したのも、約53億ドルの運用資産を持つ同社の経験とノウハウを期待してのこととみられる。

日本の関係者にとっても、国土の3分の2を占める森林の経営を高度化しつつ、脱炭素社会に向けた排出権取引市場の形成にも資する森林投資の仕組みは十分に検討していく価値があるのではないだろうか。

[参考文献]
  • ・江夏あかね「カーボンプライシングと金融資本市場」『野村サステナビリティクォータリー』2021年冬号
  • ・関雄太「欧米機関投資家の注目を集める森林投資」『野村資本市場クォータリー』2007年夏号
  • ・関根栄一「中国の2060年カーボンニュートラル実現に向けた金融支援策」『野村資本市場研究所海外駐在員レポートNo.21-18』(2021年8月27日)
  • ・日本経済新聞「森林にも迫る高齢化、脱炭素や防災の壁」(2021年10月10日)

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