インベスト イン キシダ

編集者の目2022年6月6日

野村證券金融経済研究所 シニアリサーチフェロー 海津 政信

岸田首相は5月5日、英国ロンドンで投資家を前に基調講演を行った。安倍元首相は、Buy my Abenomicsと銘打って、アベノミクスで日本経済を変えたい、アベノミクスは買いだと主張した。今回、岸田首相は、Invest in Kishidaと称して、資本主義4.0による日本経済の変革と成長を売り込んだ。

具体的に見て行こう。岸田首相は資本主義のバージョンアップが必要なのは、2つの現代的な課題を解決する必要があるからだとし、第一に格差拡大、地球温暖化問題、都市問題などの外部不経済の問題、第二に不公正な経済活動等によって急激な経済成長を遂げた権威主義国からの挑戦を挙げている。そして、市場か国家か、官か民かではなく、市場も国家も、官も民も役割を果たしていくことが重要と述べている。確かに新自由主義やグローバリズムで問題が大きくなった外部不経済に対し、官、政府の役割を引き上げることは必要だろう。賃金底上げに向け賃上げ税制の活用、看護、介護、保育の公定価格の引上げなどすでに岸田政権が始めた試みがあるし、企業経営にROE(自己資本利益率)8%以上の達成とESG(地球温暖化問題などへの貢献)的な観点の両立を求める機関投資家からの要請、圧力も議決権行使などを使い始まっている。また不公正な経済活動によって急激な経済成長を遂げた権威主義国からの挑戦も、個人情報の不正取得などにやや疑義の在る中国製の5G基地局設備の先進国キャリアへの導入見送りや、巨額な補助金を使う中国の半導体開発には米日欧の通商政策当局が最先端の半導体製造装置の輸出を規制するなど、対応が始まっている。

加えて、岸田首相は講演の中で次のような政策提案を行っている。まず1つ目が「人への投資」で、職業訓練、学び直し、生涯教育などへの投資を積極的に行いたいとしている。かつて経団連の欧州ミッションに参加し、失業手当を出している間に職業訓練を行い、労働移動を柔軟にするデンマークで見聞した「リスキリング」は日本でも取り入れたら良い試みだ。それから、岸田首相は「貯蓄から投資」も人への投資の一つでこれを大胆に行いたいと提案、NISA(少額投資非課税制度)の抜本的な拡充や預貯金を資産運用に誘導する新たな仕組みの創設などを通じ「資産所得倍増プラン」を進めたいとしている。この点については、今年3月の編集者の目「物価環境、資産運用環境を変えるグリーン革命」で述べた次の点と被るものだ。すなわち、「我が国の家計金融資産は2,000兆円に迫るが、このうちほとんど利子を生まない現預金に54%が張り付いている。一方、株式等は11%にとどまり、米国の4割はもとより欧州の2割と比べても格段に低い。日本株もコーポレートガバナンス改革が進み、利益成長を通じ年5%程度の投資リターンが期待できる。仮に欧州並みの20%、400兆円まで株式資産を増やすと9兆円((400-218)×0.05)の金融所得が追加的に生れる計算だ。」というものである。金融所得課税の強化ではなく、「貯蓄から投資」を促進することのほうが重要としたのは大変良かったと思う。

2つ目が「科学技術・イノベーションへの投資」で、民主主義と権威主義の競争が激化する中で、最終的な勝者を決めるのは科学技術の力で、AI(人工知能)、量子、バイオ、デジタル、脱炭素の5つの領域で国家戦略を明示するとともに、国家戦略に応じて研究開発投資を増加させる企業には大胆なインセンティブを付与していくとしている。そして、アカデミアの活性化のため、10兆円の大学基金を立ち上げ、この基金を通じ、大学の研究開発を支援していくことを強調した。その前提として、大学においても経営と学問の分離、外部資金や外部経営陣の導入などのガバナンス改革を徹底していくと述べていることも見逃せない。22年秋に策定されるとみられる22年度第2次補正予算や22年末に編成される23年度通常予算でこれらの政策がどう具体化されるか、注目したい。

3つ目が「スタートアップ投資」で、本田宗一郎氏のホンダ、盛田昭夫氏のソニーに言及し、戦後に次ぐ第二の創業ブームを作りたいと訴えた。経済産業省は2018年6月にグローバルに活躍するスタートアップを創出するために「J-Startup」プログラムを開始し、さまざまな資金支援、海外展示会出展支援、入札機会の拡大支援、経団連、経済同友会トップとスタートアップ経営者との交流会、「日本スタートアップ大賞」の選定などを実施している。加えて、今回の講演で、海外の一流大学の誘致を含めたスタートアップキャンパスの創設、個人金融資産及びGPIF(年金積立金管理運用独立行政法人)等の長期運用資金のベンチャー投資への循環など新たな試みにも言及した。かつて日本では、大学を卒業すると本人も親も伝統的な大企業に就職したがったが、最近はスタートアップを起業する大学生も増えていると聞く。優れたスタートアップの輩出は日本経済、産業の活性化、成長力改善には不可欠であり、中長期で成果が出てくることを期待したい。

4つ目が「グリーン、デジタルへの投資」で、2050年カーボンニュートラル、2030年温室効果ガス46%排出削減に向け、今後10年で150兆円の新たな関連投資を実現すると打ち出した。また、デジタルへの投資ではデジタル技術による生産性向上、過疎地での自動運転などの新たなデジタルサービスを生み出していく一方で、時代に合わない制度や規制を見直し、4万以上のアナログ規制をなくすことを考えていくとした。さらに、5年程度で99%の需要をカバーする5Gや光ファイバーの整備などデジタルインフラの実現に力を入れると述べた。

こうした点は5月31日に発表された経済財政運営と改革の基本方針2022原案(骨太の方針)に盛り込まれている。一部に懸念されていた分配重視ではなく、成長重視でかつ分配にも配慮した新しい資本主義が打ち出されたのは良かったと思う。特に金融市場の立場から見ると、「貯蓄から投資」、「資産所得倍増プラン」が盛り込まれたのは大変良かったと言える。22年末に向けて細部の制度設計を是非上手く行ってほしい。

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