サステナブル経営は企業のため、つまり株主のため

編集者の目2022年6月16日

野村證券金融経済研究所 シニア・リサーチ・フェロー兼アドバイザー

ESG投資が逆風に見舞われているとは言わないが、2021年までの全員賛成の追い風とは明らかに風向きが変わってきている。2022年々初から、保守的な論調で知られるThe Wall Street Journal紙はESG投資に懐疑的なシリーズ記事を掲載していた。例えば、1月24日付け ESG Investing can either do good or do well, but not both(ESG投資は良いことをするか、良い成績をあげることは出来るが、両方は出来ない)、同29日付け Wall Street green push exposes conflicts(ウォール街の“グリーン押し”は対立を生む)などである。2月10日付けには Shareholders still reign supreme despite CEO’s promises to society(CEO達が社会(貢献)を約束しようとも、依然として株主は支配的な力を持っている)という論考も掲載された。幾つかの資産運用会社でグリーンウォッシュ疑惑が指摘され、実際に捜査を受けたり課徴金を課されたりするケースもあった。さらに、元ブラックロックのサステナビリティ責任者だった Tariq Fancy 氏が「(ESG投資は)誇大広告に過ぎない」と発言したり、HSBCの元責任投資ヘッドの Stuart Kirk 氏が「中央銀行や当局は気候変動の金融リスクを大げさに言い立てている」と主張したりしたこともショックだった。The Economist誌6月7日付けの What’s gone wrong with the Committee to Save the Planet?(地球を救う委員会の何がいけないのか)という記事の中で、金融界で環境問題に熱心に取り組むビジネスリーダーを取り上げ、「地球を救うことは大切なことだ。だが、…エリートの越権行為の匂いが漂う。」と辛辣だ(6月14日付け日本経済新聞再掲)。

こうした風向きの変化の背景の一つは、脱炭素化に向けた金融資本市場の牽制で化石燃料への投資が抑制されてきたことが、今日のエネルギー価格の高騰に繋がっているということがあろう。特に米国では、従来は政治的な態度を抑えてきた企業経営者が、社会・顧客・従業員からの圧力をうけて政治的な発言や行動に出てきたことへの保守派の苛立ちの一環という側面もある。ただ、その深層には、投資や企業経営を(A)ESGか(B)非ESGか、もっと言うと(A)ステークホルダー資本主義か、(B)株主資本主義かという二分法で捉え、教条的に「(A)か(B)かのどちらか、(A)でなければ(B)」と決めつける発想があるように思える。

しかし、筆者の意見ではESG投資が要求するサステナブル経営は、思想信条や倫理の問題ではない。これを混同したらESG投資の議論は党派色を帯びて永久に収斂しない。そもそも、金融業界が気候変動リスクを意識したのは、2015年に当時のMark J. Carneyイングランド銀行総裁が英国ロイズ保険組合で講演し、ロイズは地震保険や航空保険といった保険の新分野を切り拓いてきたが、新たにサイバー、気候変動、宇宙などのリスクに直面していると言及したことに端を発している。遡った2005年のハリケーン「カトリーナ」の被害額は1,250億ドルと米国GDPの1%に上ったと言われ、そうしたリスクを見極め、開示し、適切に対応することは純粋に経済合理的な行為だったと言える。昨今、自社だけでなく購入エネルギーや川上・川下のサプライチェーンまで含めて温室効果ガス排出量を計測・管理することを要求するのは、企業にとって負担が重すぎるという声もある。しかし、米中対立・ウクライナ紛争を経てサプライチェーン管理の重要性は十分に認識された。どんなに自社から遠いリスクでも、事業運営に大きな影響を与え得る。であれば、平時から温室効果ガス排出を含めてサプライチェーン上のリスクは認識・管理しておくことが安定操業に欠かせない。人権や多様性といった社会課題への対応も消費者行動、評判リスク、法令・規制の変更を通じて会社のキャッシュフローに影響を与える可能性がある。従って、問題やリスクの所在を明らかにし、予めリスクを抑制し、適応や緩和のための方策を資金提供者と共有することが市場での評価や円滑な資金調達の条件となる。

本欄でも一度議論したことがあるが、企業が株主にコミットしているのは利益ではなく企業価値である。企業価値は将来の事業継続期間中の利益累計額を、資本還元したものである。グラフにすると単年度の利益という高さではなく、利益×期間の面積の問題である。目先の利益を多少削ったとしても、将来の利益が毀損されるリスクを抑えたり、事業期間が延びたりするならそれは株主価値に沿うものである。「企業の社会的責任は利益を増やすこと」というフリードマン・ドクトリンの「利益」を「企業価値」に言い換えれば、ESGと非ESG、ステークホルダー主義と株主主義は矛盾なく収斂する。解が不定や不能となるかも知れない難解な連立方程式を解かなくても、単純な条件付き最大化問題で処理できる。サステナブル経営は倫理の問題ではなく、企業のため、ひいては株主のための普通の経営問題なのである。

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