タイプ1・エラーを冒そう!

編集者の目2022年12月6日

野村證券金融経済研究所 シニア・リサーチ・フェロー兼アドバイザー 許斐 潤

暗号通貨取引所大手のFTXトレーディングが経営破綻した。顧客資産を預かりながらリスク管理の不備や、取締役会が機能しないなどコーポレート・ガバナンスが不在であったとしたら、許されることではない。他方、同社にはアップルやグーグル、シスコシステムズなどの創成期に投資したことで有名なベンチャーキャピタル大手のセコイア・キャピタルや、2021年までのベンチャー投資ブームで名を上げたタイガー・グローバル・マネジメント、日本のソフトバンクグループなど名だたる投資家が資金を投じていた。FTXの破綻で、これらの投資家の査定が甘かったのではないかという論調も目に付くが、個人的にはそうした後付け的な批判には強い違和感がある。もちろん、筆者はこれらのベンチャーキャピタルの投資実行過程の実務に通じているわけではないので、実際のところどうだったかは分からない。しかし、不確実な将来の可能性にリスクをとって投資するベンチャーキャピタルの行動を、結果だけから判断するのは公平ではないと思う。

筆者の考えでは、投資、特にベンチャー投資で最もいけないのは、タイプ2・エラー(第2種過誤)を犯すことである。少し専門的に言うと、帰無仮説が偽(対立仮説が真)なのに、帰無仮説を採用してしまうことを指す。平たく言えば慎重過ぎたり、のんびりし過ぎたりして大物を取り逃してしまうという状況に当たる。この対立原理はタイプ1・エラー(第1種過誤)で、真の帰無仮説を棄却してしまうこと、つまり慌てたり、焦ったりして偽物をつかんでしまうことである。どんな場面でもどちらの過ちも犯さないにこしたことはないが、こと(ベンチャー)投資に関しては、「のんびり屋」よりも「慌て者」の方が望ましいと考えている。投資には二つの側面がある。第一義的には投資者へのリターンの創出。もう一つの機能は被投資先への(成長)資金の提供である。流通市場での上場株式への投資は前者の色彩がより濃いと言える。未上場企業への投資も大学基金や企業年金などからの資金拠出があってこそ成り立つので、リターン獲得は重要な目的ではあるが、より後者のニュアンスが強調される。経団連のスタートアップ躍進ビジョンや、岸田総理が掲げているスタートアップ創出元年政策は、そうした文脈で語られている。

90年代半ばに社員6人のヤフーに投資したり、2000年に創業者と5分話しただけでアリババへの出資を決めたりした孫正義氏の逸話は天才の所業なので、誰にでも真似できることではない。ただ、以下のように考えることもできる。2022年4月の本欄で進化論のメタファーを使って、新技術・新企業・新産業が自然淘汰のプロセスを経てライバルを振り落としながら次世代の主流となっていくという仮説を説明した。その時紹介した例でいえば、20世紀初頭に300を超える自動車メーカーが世界で十数社に集約されていった。レースが始まった瞬間には最終的に誰が勝者になるかはわからなかったし、少なくとも当事者とその支援者は「我こそは」という気概で事に当たっていたはずである。この時点での投資戦略としては、調査と熟慮を重ねて一点買いという選択もあり得る。或いは、幾つかのタイプの違うベンチャーに分散投資という戦略も考えられる。そうすると殆どの投資先は脱落していくのだが、残った企業は最終的な勝者により近づいている可能性が高い。最悪なのは、レース序~中盤は様子見に徹して大方の結果が見えてから勝ち馬に乗るような態度である。損はしないかも知れないがブロックバスターとはいかないし、第一、新技術・新企業の勃興には何も貢献していない。分散投資+フォローオン投資で最終的に勝者に張っていたとしても、社数ベースでみれば投資先の死屍累々(=タイプ1・エラーの塊)を乗り越えた上での栄光だと言える。

殊に、日本で肝に銘じなければいけないのは、タイプ1・エラー(慌て者)を冒すと実現損で痛い目に合うのだが、タイプ2・エラー(のんびり屋)を犯しても機会損失が生じるだけで帳簿は痛まないということである。依然として日本の組織・個人の業績評価は結果志向が強いと思われ、実現損は激しく糾弾されるが、機会損失は多少の叱責を受けたとしても実現損に比べれば極端な低査定には繋がらないことが多いのではないか。ベンチャー投資を通じて、新産業を興し経済全体を活性化させようとするならば、この発想を逆転させなければならない。停滞する世の中を変えたいなら、リスクテークそのものを高く評価し、果敢にタイプ1・エラーを冒そう!

タイガー・グローバルは正確にはベンチャーキャピタルではなく、上場企業にも非上場企業にも投資するクロスオーバーファンド。

手数料等やリスクに関する説明はこちらをご覧ください。