スタートアップ育成、その後

経済金融コラム2024年4月8日

野村證券 フロンティア・リサーチ部 部長 大森 琢也

岸田政権は、「新しい資本主義」の実現に向けた取り組みの中で、2022年11月に『スタートアップ育成5か年計画』を打ち出した。これは、経団連が2022年3月に公表した『スタートアップ躍進ビジョン』に呼応するもので、官民一体となったスタートアップ育成計画である。育成計画の公表から1年超が経過した今、株式市場から見たスタートアップあるいはIPO市場の状況について触れたい。

2023年のIPO市場を振り返ると、IPO銘柄数は96銘柄と例年並みで着地した。ただし、株価推移については、日経平均株価が大幅に上昇した半面、IPO銘柄の株価は振るわなかった。特に、年央から東証グロース指数の大幅な調整が進んだ局面では、IPO Index(単純平均)は東証グロース指数を超える調整を見せた。その影響は、IPO銘柄の初値形成に顕著に表れた。初値が公開価格を下回った銘柄は、年前半の4銘柄(新規上場44銘柄)に対して、年後半は22銘柄(同52銘柄)に上った。一方で、各企業の事業概要に目を向けると、宇宙ベンチャーやインパクトスタートアップのIPOが実現するなど、新規性の高い企業のIPOがあった点は、変化の兆しが垣間見えたという点でポジティブに捉えたい。

ここからは、今後のスタートアップやIPO市場に、プラスの効果を与えうるであろう2つの事象についてまとめた。

第一に、特定投資家向け銘柄制度(J-Ships)を活用した資金調達の実現である。同制度は、2022年に日本証券業協会が新たに自主規制規則を制定・施行したことにより、特定投資家が未上場株式や投資信託に投資できるようにした制度である。未上場企業への投資家層が広がることで、スタートアップの事業開発の資金に厚みが増すことが期待される。従来、スタートアップへの資金提供は、VCやCVCによるリスクマネーが主であった。しかしながら、これらの既存の投資家ではスタートアップを支援するのにも限界があった。VCやCVCにはファンドの運用期間があり、またファンド毎に各スタートアップへの株式持分の枠が設定されていることもある。このような条件下において、特にレイトステージでの追加投資が必要な局面では、VCやCVCからは必要なだけの資金を供給できないケースが生じる。ディープテック等、研究開発型のスタートアップの場合、デスバレーと称される事業開発のレイトステージでは、数十億円~100億円を超える開発資金が必要となるものの、資金の出し手が薄い状況が課題視されてきた。新しいリスクマネーの出し手の登場は、スタートアップにとってもVCやCVC等の既存株主にとっても、願ってもない資金の担い手となろう。

第二に、スイングバイIPOの実績である。2023年12月にyutori、2024年3月にソラコムがそれぞれスイングバイIPOを実現した。スイングバイIPOは、スタートアップがM&A等を経て、大手企業の傘下に入り、事業成長を進めた後でIPOすることを指す。yutoriはZOZO、ソラコムはKDDIの傘下で、事業開発を進めた後でIPOを実現した。いずれのケースでも共通しているのは、大手企業、創業者共に相応の株式所有を維持したままIPOを迎えていることである。日本のスタートアップが欧米のスタートアップの後塵を拝している理由の一つにM&Aイグジットの少なさが指摘されてきた。スイングバイIPOの事例が確認されたことで、大手企業によるスタートアップのM&A後の資本政策の選択肢が生まれたことは、スタートアップ、大手企業いずれにとってもポジティブに働き、大手企業によるスタートアップのM&Aが活性化することに期待したい。

上述した事象は、『スタートアップ育成5か年計画』の中で挙げられている『スタートアップへの投資額の増加』『オープンイノベーションの視点での事業会社によるスタートアップへの投資促進』『M&Aイグジット比率の改善』の課題へのソリューションの事例と捉えられる。日経平均株価が過去に類を見ない上昇局面を迎えた背景の1つに、新しい資本主義を実現するための政策実行があった。スタートアップ育成についても少しずつではあるが政策課題が解消し始めている。これからも官民一体となったスタートアップ支援を通じて、戦後日本で見られたような起業家精神やアニマルスピリットを取り戻し、日本の経済や社会構造の変革を前進させることに期待したい。

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