日本企業の株主還元は過去最高、今後は事業戦略に注目へ

経済金融コラム2024年5月21日

野村證券金融経済研究所 所長 齋藤 克史

5月中旬までに発表された23年度決算では、多くの日本企業が株主還元を拡大している。自社株買いが特に顕著で、取得枠の設定は年初来累計で8.5兆円と前年同期に比べて3兆円以上も多く、過去最高である。弊社の日本株ストラテジー・チームによると、企業による24年度業績ガイダンスは想定以上に保守的であるが、それ以上に想定を上回る自社株買いが株価を支えている。

株主還元の拡大は、日本企業が株価や株主への意識を高めてきた現れでポジティブである。株価には「経営者の通信簿」という面がある。株価は短期的には、株式市場全体の動向、内外のマクロ景気や金融政策など、多くの外部要因の影響を受ける。しかし、中期的には企業のファンダメンタルズ(将来の利益の価値)を反映する度合が大きく、そのメッセージを経営者が意識することは大事である。

本来的には、株主還元策には「バランスシートの資本構成(金融資産、有利子負債、株主資本)を将来どうするか」というバランスシート・マネジメントの観点が求められる。その方針には、将来目指すバランスシートの構造と現状のギャップ、キャッシュフローの見通し、事業の利益率と変動性、投資機会(設備、人材、研究開発、M&A)、成長ステージが反映されることが望ましい。実際、こうした具体的なキャピタル・アロケーション(資本配分)を示す企業が増えてきた。

また、持ち合い株(政策保有株)が縮減し、その売却で得たキャッシュを活用した自社株買いも増える見通しである。株主還元については全体として、先進企業が範を示し、それが他社へ広がる形で日本企業全体の底上げが続くであろう。日本企業の総還元性向(配当と自社株買いの合計額/当期純利益)は、23年度の51%(推定)から24年度に一段の上昇が見込まれる。

今後、注目が高まるのは事業戦略となろう。ROE(自己資本利益率)を高めるには、資本構成(財務レバレッジ)の適正化、事業の収益力であるROIC(投下資本利益率)の向上が効く。株主還元の拡大は前者の資本構成に関わる。そして、資本構成については標準的な考え方(理論的な枠組み)と処方箋(ガイドライン)がある。また、経営者が決断すればすぐに実行できる。

一方、ROICの向上はそれよりもずっと難しい。高いROICを生むためには、他社とは異なる価値を顧客へ提供することで競争優位を築くことが求められる。「他社との違い」がポイントなので、教科書に答えは載っていない。例えば、経営管理手法として優れるROICツリー(ROICを売上利益率、資産回転率へ細分化していく)を導入しても、事業環境の変化への行動が遅れてしまうと、業績は他社よりも悪化してしまう。スピードある行動のためには、リアリティが溢れる現場の経験で培った「商売人としての嗅覚」が求められ、それは「野性」(アニマル・スピリッツ)に近い。事業戦略において求められるセンスは財務戦略(エクセルでのシミュレーション分析も多い)とは別物で、ある意味で逆のような面もあると思える。

このように、高いROICを生む事業戦略は難易度が高い。それでも、企業は価値増加を目指して挑戦することが求められる。その難しさは、株式市場で挑戦している投資家やセルサイド・アナリストも、自らや自社の状況を鑑みれば理解できるであろう。お互いを理解して対話できる素地がある。

とくに投資家に理解が望まれることの一つは、長期的視野である。戦略の打ち手が成果を生むには時間がかかる。その内容によるが、平均すれば3~5年は必要であろう。つまり、現在の業績は3~5年前からの打ち手の結果といえる。そして、高い競争力を長期で維持する企業には、「損して得とれ」(一時的にあえてマイナスをとり、後でプラスを狙う)の発想を感じることが多い。その好例が創業経営者による「逆張り経営」で、在任期間が無期限であることによる長期志向の賜物といえる。

上場企業は24年度に設備投資を前期比6~7%増やす計画である。設備投資だけでなく、人材、研究開発、M&Aなどの先行投資も増える。これらは短期で利益を抑える要因になっても、中期で企業価値を増やすポテンシャルをもつ。投資を増やさないで、企業価値が持続的に増えることはない。ただし、投資をすれば企業価値が必ず増えるわけではない。企業には打ち手の内容と理由、成果を生む時期の見通しを投資家に丁寧に説明してほしい。そして、投資家はそれを吟味して広い視野からの知見を企業へフィードバックし、それを企業が活かすという好循環が望まれる。

自社株買いによって決算後に株価が支えられても、それだけでは上昇は続かない。自社株買いは事業の競争優位を高めるものではない。ここからは事業戦略の巧拙が株価に反映されていくであろう。ROICが資本コスト(WACC: 加重平均資本コスト)を下回る企業は、それを超えるために全力の努力(投資を含む)がまず求められる。十分に上回る企業は、それを維持しながら成長投資をすることで企業価値が増大する。日本企業全体としては、先行投資が中期的に企業価値増加へつながる可能性が十分に高いと考えられる。

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