米国保険セクターの企業評価から見る金融ビジネスの構造変化
経済金融コラム2024年8月2日
野村資本市場研究所 常務 関 雄太
近年、米国金融セクター内の企業価値(株式時価総額)ランキングに大きな変動が起きている。2020年以降、ゴールドマン・サックス(GS)が時価総額でモルガン・スタンレー(MS)、チャールズ・シュワブ、ブラックロック、ブラックストーンに抜かれる場面が続出しているのは一例である。ホールセール証券部門を持たないシュワブやプライベートエクイティ(PE)ファームが2大投資銀行に伍す評価を得るというのは、米国金融業界のインサイダーにとっても驚きであるに違いない。
保険サブセクターの企業評価においても、ドラスティックな構造変化が発生している。代表的な銘柄4社の時価総額推移が、最も顕著な動きといえるだろう。具体的には、かつてSIFI(システム上重要な金融機関)指定を受けていたAIGとメットライフ(MET)の時価総額は2015年頃をピークに減少、最近は回復傾向とはいえ500億ドル前後で停滞している。その一方で、チャブとプログレッシブ(PGR)の企業価値は一貫して成長し、2017年から19年初頃にAIGとMETを逆転した。2024年7月現在、PGRの時価総額は1,200億ドルを、チャブの時価総額は1,000億ドルを超えており、AIGの時価総額の2倍もしくはそれ以上の水準に達している。加えて、保険ブローカー大手マーシュ&マクレナンの企業価値も増大し、チャブ、PGRと同様に2024年途中から時価総額1,000億ドルを超えている。「保険ブローカー」という業態が日本では一般に馴染みがなく理解しにくい面もあるが、要は保険業の最も本質的な業務である保険契約引受をしない仲介業者が、メガ保険グループよりもはるかに高い評価を得ているということであり、これもまたセクター内の評価の激変を示す例と言えよう。
保険サブセクターにおける企業価値の変動からは、いくつかの潮流が見えてくる。第一に、伝統的業務におけるシェアや規模の大きさが、企業評価につながらない可能性である。特に、ソルベンシーや財務健全性に係る規制の厳格化や複雑化が進む保険の引受業務に対しては、商業銀行の預貸業務あるいは投資銀行のトレーディング業務などと同様に、規制対応コストの増大や成長性の低下という投資家の懸念が強まっており、企業評価に反映されているとみられる。
第二に、上記のトレンドの裏返しとして、金融ビジネスの評価を高める上で、明確な成長戦略とその達成が重要になっている可能性である。この点について、PGRは個人向け自動車保険、なかでもテレマティクス保険※1への注力で有名である一方、チャブはD&O(会社役員賠償責任)保険や富裕層向け損害保険、第三分野など多様なニッチ分野を抱え、しかもM&Aを通じてアジアへの展開も図るなど、多角化・地域分散が際立っている。そういう意味で、両社の事業戦略は真逆とも言えるが、ニッチをスケールさせる戦略や持続的な成長の実現という面は共通している。また、引受とディストリビューション(販売)のアンバンドリング(分離)を捉えた戦略もポイントで、個人分野の重視やダイレクトや組込型保険(エンベッディッド・インシュアランス)※2に積極的に取り組むといった点でも、PGRとチャブは独自性を出している。
第三の潮流として、保険・年金ビジネスとアセットマネジメントビジネスの融合も注目される。この融合は、二つの流れの相乗効果によって加速している。まずは、生命保険・年金のクローズド・ブック(CBもしくはクローズド・ブロックとも呼ばれる)取引の活発化である。CBとは保険会社が販売停止した生保・アニュイティ商品の保有契約ブロックのことで、売り手である保険会社は資本規制への対応や効率性追求のためにCBを売却、買い手は取得したCBの集約・運用高度化・バリューアップを通じて収益獲得を狙い、リスク分散効果も享受する。低金利の下、市場の成熟化が進む英米中心にCB取引が活発化してきた。加えて、PEファンドが大型化してクレジット分野、特にCB取引に相次いで参入していることも動きを加速させている。PEファンドが保険会社ごと買収する例も続出しており、こうした動きがAIG等のダウンサイジングや業界再編を牽引していると見ることも可能である。
やや大きな視点で見れば、上記の潮流はいずれも、保険サブセクターに限らず金融ビジネス全体に影響を与える面があり、また日本の金融業界にも無関係とは言えないだろう。企業価値を高めるために、米国のトッププレイヤーあるいは彼らに投資しているファンドマネージャーから学べることはまだまだ多そうである。
- 岡田功太「米国のオルタナティブ・ファンド事業の新潮流」『野村資本市場クォータリー』2021年秋号
- 岡田功太、橋口達「拡大する米国のプライベート・デット・ファンド市場」『野村資本市場クォータリー』2024年夏号