企業価値創造の物語(1)導入~企業理念

経済金融コラム2024年9月27日

野村證券金融経済研究所 シニア・リサーチ・フェロー兼アドバイザー 許斐 潤

資本市場で「企業価値創造」が重要なキーワードになっている。経済学の一分野であるファイナンス領域では企業が長期的に生み出すキャッシュフローの現在価値を事業価値ないし企業価値とし、そこへ事業に供していない保有資産の時価を加えて、負債額を差し引いたものが株主価値とされる。古くは20世紀初頭には企業の設備投資に係る意思決定にキャッシュフローの現在価値測定が用いられていたようだ。1950~60年代に、この考えが金融商品の価格決定に応用された。よって、これを狭い意味での株式投資に応用した「企業価値」の考え方はかれこれ60~70年の歴史がある概念と言える。しかし、現在、「企業価値」が重視されているのは、2013年にIIRC(現在はIFRS財団に統合)の「国際<IR>フレームワーク」で価値創造プロセスが定式化されてからであろう。宝印刷調査によると2023年は1,019社の日本企業が統合報告書を発行したとのことだが、多くの企業が同フレームワークに倣って自社の価値創造プロセスを表現していることから、「企業価値創造」が一気に市民権を得たものと考えられる。

同フレームワークに描かれた価値創造プロセスの概念図-いわゆるオクトパス・モデル-は、財務、製造といった「有形」資本に限らず、知的、人的、社会・関係、自然といった多様な「無形」資本を投入(インプット)し、事業活動を通じて製品・サービス(アウトプット)を生み出し、諸資本への影響(アウトカム)を還元するとされている。ところが、肝心のインプット→事業活動→アウトプットの過程は「ビジネスモデル」と大括りに表示されているだけで、具体的にどのようなプロセスを経ているのかはブラックボックスになっている。これに対して、経済産業省の研究会が2017年に提示した「価値協創ガイダンス」は、企業内部で生じている価値創造プロセスを価値観~ビジネスモデル~持続可能性~戦略~成果~ガバナンスを一気通貫で説明する枠組みとして、筆者には大変肚落ちの良いものであった。他方、標準的な経営理論では競争戦略で議論されるべき競争優位性がビジネスモデルの項目として議論されていたり、2017年の改訂版では長期戦略、実行戦略など(実務上はともかく)理論的には定義が定まっていない用語が混入したりするなど、体系的枠組みとしての完成度には若干不満が残った。そこで、価値協創ガイダンスの大枠を踏襲しつつ、細部、特に用語と各項目の内容を再構成すれば、多くの人に納得性の高い企業価値創造プロセスを叙述するスキームが作れるのではないか、という発想に思い当たった。今後数回に亙って筆者が担当する当コラムでこの試みに挑戦してみたい。なお、この試みは筆者個人の見解に基づくものであり、所属する組織の公式見解ではないことは予め明言しておきたい。

まず、入り口は企業の価値観、すなわち企業理念・哲学、ビジョン、企業文化である。会社によってミッションやパーパスなどと言い分けている場合もあるし、人によってはミッションとパーパスの意味を区別したりしているが、言葉遣いはどうでもよい。要は厳格な自己規定、自分たちを自分たちたらしめている「らしさ」を凝縮した表現である。ここで、優れた経営成果をあげている海外企業のミッション・ステートメントを見ると、興味深い共通点がある。幾つか例を挙げると、「Empower every person ・・・ to achieve more」(マイクロソフト)、「Organize the world's information ・・・」(グーグル)、「Connect and share ・・・」(旧フェイスブック)、「・・・ save our home planet」(パタゴニア)、「Connect people ・・・」(サウスウェスト航空)、「Bring inspiration and innovation to every athletes ・・・」(ナイキ)、「Help women ・・・」(ダブ:ユニリーバ傘下のパーソナルケア・ブランド)、「Spread ideas」(テッド)などである。つまり、これのステートメントにはその会社特有の活動を象徴するような言葉、特に「動詞」に特徴がある。ミッション・ステートメントだけで各社のバリュー・プロポジション(提供価値)が明白で、迷いがない。この厳格でブレのない自己規定が、価値創造の出発点となっているのである。

翻って、主な日本企業はどうなっているか。次回はこの点を手掛かりに日本企業が直面する課題を提議し、さらにその先の企業価値創造の旅を進めることにしたい。

[参考文献]
  • IIRC「国際統合報告<IR>フレームワーク(2013年12月版)」
  • IIRC「国際統合報告<IR>フレームワーク(2021年1月版)」
  • 経済産業省「価値協創ガイダンス解説資料」(2018年3月)
  • 経済産業省「価値協創ガイダンス2.0」(2022年8月)

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