巳年縁起
経済金融コラム2024年12月6日
野村證券市場戦略リサーチ部 シニア・エクイティ・ストラテジスト 元村正樹
早いもので、2024年も残すところ1カ月足らずとなり、来たる2025年の株式市場の動向に思いを馳せる時期となった。2024年には約34年ぶりに日経平均株価が史上最高値を更新して初の4万円台に到達した一方、8月5日には日次の下落率が歴代2位、下落幅は過去最大となった。2024年は株式市場に関わる者として印象深い年となったが、さて来年はどうなるだろうか。
2025年は巳年である。相場の世界では「辰巳天井」という言葉があり、これだけ聞くと印象がよろしくない。ただし、前回の巳年であった2013年は、いわゆるアベノミクスの始まりの年で、今日に至る上昇相場の起点となった。日経平均株価の年間上昇率は56.7%と歴代4位の堂々たる記録で、天井とは逆の大底であった。
過去の巳年を振り返ってみると、2013年のように株式・金融市場にとっての転換点や節目となったり、印象深い出来事が発生したりしている。2013年の前の巳年は2001年である。IT(情報通信)バブル崩壊の余波が残って株式市場が冴えない中で、9月には米国で同時多発テロが発生した。米国株式市場は数日間にわたって取引休止となり、テロの翌日には日経平均株価が約17年ぶりに1万円を下回った。年間の日経平均株価の騰落率は23.5%のマイナスであった。1989年の巳年は、年が明けて間もなく元号が昭和から平成へと変わり、日本株はバブル相場の最終盤を迎えて、日経平均株価は38,915円の(当時)最高値を記録し、年間では29.0%の上昇だった。日経平均株価がこの最高値を上回るまでに約34年の年月を要したのは、前述の通りである。
1977年は、日経平均株価(当時の名称は「日経ダウ平均株価」だったが、本稿では呼称を「日経平均株価」に統一する。以下同様)の騰落率は2.5%のマイナスと平凡であったが、為替市場では1ドル293円から1ドル240円まで大幅に円高ドル安が進んだ。我が国の経常黒字が1976年度の46億ドルから1977年度には139億ドルへ急拡大した影響で、いわば「最後の円安」とでも言うべき水準だった。1965年は東京オリンピックの翌年で、オリンピック景気の終了と金融引締めによって企業業績が悪化した。いわゆる(昭和)四十年不況である。大手証券会社の業績は軒並み赤字となり、山一證券に対して日銀特融が実施されるに至った。もっとも、苦しむ証券会社をよそに、日経平均株価は年間で16.5%上昇した。
1950年に算出が始まった日経平均株価(元々は東証が1950年に「東証第1部修正平均株価」として算出を開始し、1970年に東証から日本経済新聞社に指数の算出・公表が引き継がれた)が、最初に迎えた巳年が1953年である。この年の3月5日には、ソ連の最高指導者であったスターリンが亡くなったと報道され、ソ連の政策転換で平和の到来が予想された。この報道を受けて同日に日経平均株価が10.0%下落したのがスターリン暴落である。87年のブラック・マンデー翌日の暴落に破られるまで、34年間にわたって日経平均株価の最大下落率の記録となった。地政学的リスクが後退したのになぜ株価暴落?と思われる方もいらっしゃるだろう。これは、当時の日本経済が朝鮮動乱の特需による好景気下にあり、報道を受けて軍需株や主力株が暴落したためである。なお、その後の株式市場は落ち着きを取り戻し、日経平均株価は年間で4.2%上昇した。
1941年は、12月の日本による真珠湾攻撃で太平洋戦争が始まった年である。株式市場の動き(フィッシャー式株価指数)を見ると、この年は前年の株価下落の後に一進一退の動きが続いたが、開戦と共に株価は上昇に転じた。株価指数の年間上昇率こそ6.5%にとどまったが、翌年の上昇相場へとつながる動きだった。そして今から約100年前の巳年である1929年には「暗黒の木曜日」と言われる米国株の大暴落が発生し、世界恐慌へとつながっていく。日本株も暴落に巻き込まれ、フィッシャー式株価指数は年間で33.1%の下落となった。
斯様に波乱の多かった巳年であるが、来年2025年は日米のトップが代わる(数カ月前に代わったばかりの)年となる。国内では景気の低迷が続いており、春闘で実質賃金が前年比で増加に転じるかどうかが注目される。海外に目を転じると、ロシア・ウクライナ紛争や中東情勢など、まだ地政学的リスクが低下する兆しはない。株式投資の環境としては先行き不透明感が残る。しかし、これまで見てきた通り、数多くの出来事に翻弄されながらも、長期的には我が国の株式市場は発展・成長を遂げてきた。仮に2025年に株式市場が波乱に見舞われようとも、長期的には困難を打破する株式市場の力を信じたい。