「中立金利」の見極め
経済金融コラム2025年2月25日
野村證券エグセクティブ・エコノミスト 美和 卓
25年1月の金融政策決定会合で日本銀行が政策金利誘導目標水準を0.50%程度とする利上げを実施したことを受け、市場は、政策金利の到達点としての「中立金利」の水準を従来にも増して否応なしに意識せざるを得なくなりつつある。
1月24日の植田日銀総裁定例記者会見での、「中立金利についてお示ししたものは、名目では例えば1[%]から 2.5[%]くらいの間に分布しているということですので、0.5[%]という金利水準はまだ距離がある([]は日銀による補足)」との発言から、市場参加者は、日銀が相応に高めの中立金利水準を想定している可能性を読み取りはじめている。従来から、市場参加者も、日銀が複数の推計式に基づいて提示している-1%程度から+0.5%程度の自然利子率のレンジを念頭に、物価安定目標の達成を前提にいずれ実現するであろう年2%の期待インフレ率を足し合わせ、+1%程度を下限とする中立金利の水準感を想定することが多かった。
しかし、高齢化時代の期待インフレ率の評価については、以下2点から、実績としてのインフレ率との比較で相応に割り引いてみる必要があると考えられる。
第一に、高齢化時代は、賃金など雇用報酬が主たる収入源ではない者が多数派となっていく局面である。また、日本の公的年金は、制度設計上、年金収入が最大で現役世代賃金の5割水準まで「マクロ経済スライド」により割り引かれる前提の下にある。現役世代の賃金が年2%のインフレを凌駕する伸びを獲得したとしても、社会の多数派がそれと同等の収入拡大の恩恵に浴することができない状態で、社会全体のインフレの期待値が年2%に定着することは困難であることが想定される。
第二に、高齢者は、身体的・生理的な衰えから、若年時と同じ満足度や経済厚生が得られる実質消費水準を低下させる可能性が高い。加工食品などについて、単価を据え置く一方で容量を減らす「ステルス値上げ」がしばしば実施される。経済統計的には物価上昇、インフレと捕捉できるこのような価格設定も、高齢化により、少ない容量で得られる満足度が従前と変わらないのであれば、実質的な物価水準の上昇、ステルスインフレは発生していないことになる。少なくとも、インフレ期待の形成にとって重要なのは、消費者の経済厚生認識と物価とのバランスであるはずだ。
高齢化時代においては、上記のようなメカニズムから、たとえ実績としてのインフレ率が年2%程度に定着しても期待インフレ率が同様に2%程度に定着している保証がないことを前提として、名目金利、中立金利の水準を考えるべきではないだろうか。
「経済・物価を加速も減速もさせない金利水準」という中立金利の概念的定義からみても、市場で一般に議論され、かつ、日銀が想定しているとみられる中立金利の水準感は、高すぎる可能性がある。
仮に、植田総裁が言う通り、現行政策金利が中立金利水準に対し「まだ距離がある」ならば、実体経済においては家計や企業の支出や投資は既に相当程度活発化し、資産市場においてはリスク資産価格の過熱感が生じていてもおかしくない。日銀資金循環統計において、家計や民間非金融法人が依然として基調的に資金余剰を維持している実態は、このようなイメージとはかけ離れている。
高齢化の進む日本の社会構造や国内資金需給、資産市場の動向に照らしてみても、中立金利の水準は、日銀が提示するような理論的推計値にまだ遠く及んでいないと想定すべきなのではないだろうか。