企業価値創造の物語(5)企業価値を左右するESG課題とは
経済金融コラム2025年6月2日
野村證券金融経済研究所 シニア・リサーチ・フェロー兼アドバイザー 許斐 潤
企業価値創造プロセスの旅も5回目。この旅程の最大の難所である「マテリアリティ」を縦断中。どんな難所かというと、我々が求めている企業価値とは第一義的には財務的価値、すなわち長期的なキャッシュフローを資本コストで現在価値に引き直したものであるはずである、なのに、多くの企業が気候変動や人権問題をマテリアリティとして特定しており、(財務的)価値創造との関係が直截的には繋がらないように思える、ということである。マテルアリティを検索すると「・・・SDGsやESGを踏まえ、企業が優先して取り組む優先課題・・・」(朝日新聞SDGs ACTION!)、「・・・企業のサステナビリティの文脈において、企業が社会や環境に与える影響の中で特に優先的に取組む劇重要な課題や領域」(NPO法人クロスフィールズ)あたりが、上位に表示される。日本企業の(少なくとも統合報告書作成担当者周りでは)この定義が定着しているように見える。もともと「マテリアリティ」とは、国際会計基準の設定主体である国際会計基準審議会(IASB)が2001年に採用した「財務報告に関する概念フレームワーク」の中で、「省略されたり、誤表示されたりした場合に主たる利用者の意思決定が影響を受ける可能性がある場合には、その情報は重要である」とされたことに端を発する。上述の朝日新聞やNPO法人のウェブページにも、きちんと「もともとはそういう意味だったが、時代の変化とともにサステナビリティ寄りの用語になった」旨は記載してある。気候変動や人権も企業活動の正当性をという観点から、従来にない重要性を帯びていることは間違いないが、企業価値創造=キャッシュフロー生成の構成要素を押しのけてまで「重要」というのに素直には頷けない。
筆者は、アナリストとして、管理者として、株式投資のための企業評価・分析一筋で来たので、サステナビリティ周りは門外漢だった。2017年にある官庁の研究会に参加してほゞ初めてこの分野に押しを踏み入れた。実は、上述の「サステナビリティ問題」はその時以来の個人的な「引っ掛かり」であった。自分なりの答えらしきものを発見したのが、「サステナブルファイナンス原論」※1だった。同書そのものがファンダメンタル投資にESGを統合するプロセスと体系的に解説しており、本コラムの趣旨そのもののような面もあるが、詳細は同書に直接あたって頂きたい。筆者が「目から鱗」だったのは、同書で掲げられてったバリュードライバーという概念である。バリュードライバーと言えば、一般には割引キャッシュフロー法企業価値を算定した時、売上成長率、営業利益率、運転資本、設備投資、税率、競争優位期間、資本コストのことをいう(財務価値ドライバー)。同書では「マテリアリティへの対応度合いを、企業価値への影響要因として表現したもの」をバリュードライバーと呼んでいる※2。例えば、医薬品メーカーの成長・利益はイノベーションによって生み出されるので、バリュードライバーは技術革新を担う人的資本となる。或いは、鉱山会社の場合は地域のステークホルダーとの良好な関係や適切な環境管理が操業許可(license to operate)のカギとなるので、地域社会との関係や環境マネジメントがバリュードライバーとなる。この整理だと、(まだ間接的だが)企業のESG課題が「ポリコレ」的な意味ではなく、実利的にマテリアルであると理解できる。この意味でマテリアリティを特定する場合には、(1)企業価値に影響する経路、(2)企業価値への大まかな影響度合いがセットで表明されないと意味をなさないことは言うまでもあるまい。前回の触れた、利益額に対して数%低程度の影響にとどまるならマテリアルとは言えないだろう。
先の「原論」には、「ESGとファイナンスの間のミッシングリングは、ビジネスモデルである」という意味深長な記述がある。ファイナンス側からはビジネスモデルが定まれば、マテリアリティが特定され、それを左右し得る駆動要因を同定し、企業価値創造への影響を考察できる。サステナビリティ側からも、ESG課題に取り組む企業の動機を理解するにはビジネスモデルを探求しなければならない、という見方である。やや難解な地図を頼りに、苦労をしながらビジネスモデル経由でマテリアリティを踏破してきたが、正しい道筋だったようだ。ここを抜けて、さらに経営戦略へ足を延ばそう。
- ※1 ディアーク・シューメーカー、ウィアラム・シュロモーダ―著 加藤晃監訳「サステナブルファイナンス原論」 [2020] 金融財政研究会
- ※2 同書名でそのように定義されているのではなく、筆者による解釈。